日本脇道紀行5

旅にでて天候は気になるところ天気がよすぎても絵にならない。曇り空や小雨の降っている方が情感があるときがある。 快晴の日の写真はほとんど絵にならない。
地形、季節や時間違いと太陽の光線の角度を自分のノーハウにしないといけないのだが撮影に追われてだだ撮影しているだけの写真が多い。写真は10時までの勝負だが観光旅行の合間に撮影ではいい写真は撮れない。一度時間が出来たら同じ風景を一日撮影して光線でどう変化するのか観察したい。



群馬県川場村のホテルで朝食の時に隣の席で食事をしている中年の夫婦に声を掛けた。 だれかれとなく話し掛けていく私に家内は呆れ顔、いつも連れ合いでないような顔をする。東京の浅草にお住まいで秋の紅葉を見に群馬に来たそうだ。

奥さんが「里山の風景が好きで散策するのだそうだ」と名もない里山を巡ったあるくのだそうだ。 こんな名もない風景を求めて旅行する人を見るとうれしくなる。 近年、里山の言葉をひんばんに聞くようになった。 この里山と言う言葉は私の広辞苑には載っていない。25年ほど前から使われ始めたようだ。 それまでは集落の取り囲む山並みを外山(とやま)とか端山(はやま)と読んでいた。それに対して深い山は深山(みやま)と言われていた。 深山、外山を詠んだ句にこんなのがある。 「深山には霰降るらし、外山なるマサキのカズラ色づきにけり」 里山は山のみをさすのではなく小川、ため池、水田、棚田、集落や動植物、昆虫の生態を言うのだそうだ。これば琵琶湖の周辺をフィールドにしている写真家、今森光彦氏の「里山物語」を見るとよくわかる。 外山は本来は「そとやま」であるが言いにくいので「とやま」になったのであろう。 人名にも外山さんは九州に多く何人か知っている。
話は余談だが略す言葉は和泉(わいずみ⇒いずみ)など沢山あるが代表傑作は柳楽(なぎら)であろう。息子の同級生にこの姓の子がいた。なんでなぎらなのと平仮名で書いてハットわかった。 「やなぎらく」の頭のやと尻のくを略したのだ。 深山の言葉は花の名前に残っている。深山きりしま、深山りんどう、深山おだまきなどに残る。



来週新潟へ行こうと思うのですが三日間雨模様
今回はビジネスホテルでないので一週間以内になったのでキャンセル料を半分取られる。とうしても行かなくてはならないが何か憂鬱 日本海沿いはしとしとと雨のシーズンに入ったようですね。 本当は11月の初旬にいきたかったが家内の仕事の都合で一週間遅らせたのが悪かった。 まあ、雨の中でも面白い写真が撮れるかもしれないし、面白い出会いがあるかもわからない。それに期待しましょう。 ひょつとしたら温泉巡りになるかもわからない。 晩秋の新潟の茅葺き民家は情感がある。板壁の民家に郷愁を感じる。

写真は10月の山形県白鷹町の民家
私は何かに持たれ掛からないと撮影が出来ない。持たれ掛かった柱がこの体重に耐え切らず「おとうさんメリメリ言うとるが」と家内の声 朝四時半にでて白鷹町に着いたのが夕方の四時半 日没で写真にならない。北陸道が地震の復旧工事で時間がかかる。やっぱり東北は時間が掛かるし遠い。

北陸道、パイルを打っているところは地盤沈下していないのでその境目で段差が出来て復旧までには時間が掛かりそう。


こんなにガソリンが高くなっては撮影旅行はやりずらくなる。
無駄走りをする茅葺き民家撮影は地球温暖化の犯人と言われそうだ。 そのうち非国民と言われないかと心配だ。

ぶらりと訪れた井原市にまだ茅葺き民家が残っていた。ここの町には平地がない。すべてが斜面の畑である。大雨で土砂が下へ流され。人がモッコに担いで上に揚げる。そんなことを繰り返してきた。人の執念で守った畑の歴史でもある。


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