日本脇道紀行3

「ノロウイルス」

医者と老人の会話
老人「息子がノロウイルスに掛かったようなので相談ですが」

医者「正月にはどんな暮らしや食生活をしましたか、なるほど毎日酒を鱈腹飲んで、寿司をたらふく食って温泉に行った」

医者「わかりました。ノロウイルスにはいろいろな種類がありまして今から説明します」

医者「まず寿司の食べすぎ、マグロを食って掛かるのがトロウイルス、酒の飲みすぎはゲロウイルスが代表的なものじゃ。温泉に入りすぎて湯あたりするのがフロウイルス」

医者「おじいさん私の説明で分かるかえ」

医者「他にもいろいろあるよ、出会い系サイトにアクセスしていると掛かるのがイロウイルス、アダルトサイトばかり見ていると掛かるのがエロウイルス、アニメのフランダースの犬を見て子供が掛かったのがネロウイルス、まあこんなところかな」

医者「ところでおじいさんはどこから電話しているの、えー聞きにくい、入れ歯外れてない。なに「うわきし・・浮気市」

医者「平成の大合併で浮気市なんてあったかな、滋賀県の守山市には浮気町と書いてふけちょうというのはあるが」

医者「おじいさんところで浮気市と言うのはなに県にあるの」

医者「えーえ福島県か、どんな漢字なの、えーひらがななの」

医者「おじいさん、おかしいよ浮気市でなくて、いわき市だよ」

老人「おかしいのはおめえの方だ、ケーシー高峰のような事いいやがって」



夢想庵さん今年もよろしくお願いします。
青森の煙の出ている民家いい写真でしたね。生活観があって懐かしさ満点の写真でした。 建物に懐かしさを覚えるのではなく、生活をしている事に自分の子供頃の生活をオーバーラップさせるのではないでしょうか。 21世紀の現代に茅葺民家で生活している人がいる事が素晴らしい事です。

はっきり言って茅葺民家では我々では生活できませんね。特に冬は寒くてたまらない。囲炉裏で木を焚けば暖かいと言うかあの煙、一時間も我慢できますか、目から涙がぽろぽろ、肺は息苦しくなる。服には煙の臭い匂いが付いて取れない。茅葺民家に住む人は目を病む人、肺を患う人が多かったのが伺える。 今年も謙虚な気持ちで茅葺民家に住む人に敬意をはらい撮影させてもらいます。 アラキーの荒木氏に言わせると「懐かしさを感じない写真は写真じゃない(ここまで言われると頭にカチンとくる人も大勢いると思いますが)。写真にその人の人生が滲み出てこないといけない」とも言われている。ちゃらんぽらんに生きた私には耳が痛い。 今年も懐かしさを求めて写真を撮りましよう。

柳津町、岐阜県にもありましたが平成の合併でなくなりましたね。「やないず」とは読みにくい。わたしの勤めている会社にこの苗字で同じ読み方をする人がいました。頑固で人の意見を聞かない人だったので40年もなるがよく覚えている。これは全くの余談ですが柳の付く名前で柳楽と書いて「なぎら」と言う苗字がありますがなんでだろうとひらがなで書いて判りました。 「やなぎらく」の最初の「や」と最後の「く」をカットしたのです。

夢想庵さんの民家と風土、民家と暮らし、ワードに貼り付けてコピーして読ませてもらっています。画面で読むのは読みずらくて紙面で読んでいます。模型を作るには構造の細部にわたり理解が必要なのがよくわかりました。 私の目だと写真にするのに絵になる家かならない家かでしか家を見ていない


岡山の地方新聞に投稿しました。私は全国紙ですが、新聞に投稿すると2000円の商品券をいただきました。 投稿した原文のまま 「張本勲を超えた」 私は全国の茅葺民家ばかり撮影している。先日その撮影軒数が張本勲のプロ野球安打記録3085を超えた。撮影に要した年数は15年、撮影日数340日、発見した県は41都道府県である。茅葺民家は無くなったと思われているが五千軒は残っているといわれている。 その内の1500軒は保存家屋。私は白川郷のような保存家屋、観光用民家は撮影対象にしていない。

その理由は1,所在地が分っているので発見の楽しみがない。

2,訪れる時の緊張感がない。茅葺民家は建物の出会いとばかり考えがちだが個人所有物なので実質的には「人との出会い」である。訪れる時の緊張感と対話にいつも新鮮な発見と喜びがある。これが継続のエネルギーになっているのかもしれない。 撮影はイチロー選手がプロに入団したころに始めたので彼をライバルに撮影してきた。今のところ数の上では私が勝っているが、数年前から歩行が困難になり妻に車の運転や撮影の介助をしてもらっている。いつ歩けなくなるか分からない不安を抱きつつも自分に課せられた試練と思い苦しみも忘れ続けている。ピート、ローズを超える日を夢見つつ


新聞投稿 その2

茅葺民家は数を撮ればいいのかという言葉がかえってきそうである。数を目標にするのは目標設定の判りやすい手段のひとつである。「数の説得性、データーの説得性」を狙ったものである。しかし、21世紀の現在、絵になる民家も少なく、行程を急ぐあまり写しただけの写真も多い。まあ99パーセントのゴミを作るためにあくせく頑張ってきたと思う。いい写真を撮影しようと思えば東北の両Sさんのように地元に留まり四季折々の風景と光線を考え撮影を続ける人の写真には勝てない。 私も仕事を続けている時に達成できたのが何よりうれしい。家内も私も働いているので休日を合わせるのが難しかった。

写真撮影には次の五つの楽しみがあると思う。
1.発見する楽しみ。
2.地元の人と会話をする楽しみ。
3.文章ににする楽しみ。
4.作品にする楽しみ。
5.コレクションする楽しみ。
折角、全国を旅するのだから茅葺民家だけを見るのではなく地元の人との会話の時間を十分取り自己研鑽に努めたいと思う。その会話をヒントに紀行文を書く事にしている。「百聞は一見にしかず、されど百見は一聞にしかず」と言いたい。ツアー旅行は沢山の物を見るが地元の人とは全く会話をしないので本質を何も掴まない旅行であると思う。あの仲の良かった夫婦が兄弟が何で切断殺人なの、見ると聞くでは大違い。 旅行前にはガイドブックやパンフレットはあまり見ない。先入観で物事を見てしまう。本嫌いもある、子供の頃から読む習慣がなかった今も余り読まないまま老人になってしまった。 挨拶やレポートで他人の文章や言葉を引用する人がいるが、あれほど退屈なものはない。自分の一度の人生、下手でもいい、自分の言葉で自分が感じた事、発見した事だけを素直に書きたいものだ。


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