日本脇道紀行3

夢想庵さん、アトムさんとの出会いがあったのですね。
私も歩ければ宝塚のホテルまで石絵展をみにいったのですが、一人では不安がありました。宝塚市にも茅葺民家は10軒ほどあったので以前は何度も行きました。 今年になって家内とはベルリンの壁状態でして協力が得られそうになく断念しました。 えんばさんのホームページを見ました。こんな楽しいホームページ初めて見ました。熟年を生きる手本のような生き方ですね。友達が沢山いて次々とアイデアやヒントをもらい活動が広がっていくのが読み取れます。 これは夢想庵さんも同様です。あちらこちらに友達がいてギブアンドテイクしている様子が伺えます。 私は酒が全く飲めず人付き合いが下手くそ、何の団体にも所属した事がありません。組織に入ったのは会社と町内会と暴力団組織だけです。 ずっと一匹豚でやってきました。(一般的には一匹狼とも言うが、そんな威圧感もなく豚の如く太った体で杖をついて小心に暮らしています)

えんばさまも戌年生まれ、昨年は年女、私と同じ歳生まれ、三十六歳ではありませんか。 それでは皆さんのアイデア、ヒントを活力に頑張りましょう。

撮影場所:安芸高田市 
この犬は息子が社宅で黙って飼っているもの、社宅の掃除があるので家を空にすると犬が吠えるのでうちに持ってきたもの さも散歩中の写真に見せるところが「やらせ」の本領発揮 みんなに迷惑掛ける訳でもなし、あるある大辞典じゃあるまいし。それにしてもうちの家内も沢山、納豆買い込んで私が毎日食っている。 娯楽番組を科学番組として見るからこんな事になる。騙された者が悪い。 報道でも個人の会話でも話題性のあるもの自分の都合の悪い事は言わず、自分の自慢は三倍に言うのが常、私なんか自分の自慢話は吹いて吹いてまた吹いて!!!


大楠のある風景
撮影場所 岡山市

大きな楠のある茅葺民家がある。赤磐市にも大きな楠のある家が、そこの奥さんの話では 家の裏にある楠の根が玄関の畑まで延々と伸びて大根やニンジンが樟脳 臭くて美味しくないと言う。昔は楠から樟脳をとり防虫剤に使われていた。樟脳の生産の多いのは熊本県と地理の問題の定番であった。生い茂るので太い枝を切ったら近所の人が貰いにくるそうだ。枝を適度な長さに切りそろえタンスの隅に置いて防腐剤の代わりにするそうだ。 今は石油の精製をすれば副産物としてナフタレンが出来る、それを原料にナフタリンを作っている。 硫黄も火山国のため沢山産出していたが石油精製の過程で大量に副産物として出来るので樟脳とともに日本の産業から衰退してしまった。ナフタリンは副産物として量が多いので加温して燃料に使っている。臭いが強くフロに入らないと消えない、宴会のある日にナフタリンを取り扱う作業を嫌いう、二次会でホステスが寄り付かないからである。悪い虫が付かないようにとホステスを口説くが嫌われるだけである。 楠は巨木の代表である。巨木になるのは常緑針葉樹が圧倒的に多い。落葉樹は200年程度の寿命が多い。例外的なのが桜と銀杏であろうか、桜も染井吉野は70年位しか寿命がない。

落葉樹の多くは樹液が虫にとってはご馳走である。虫や細菌、菌糸類を育てる栄養源にもなっているところもある。 寿命が長い木の理由には虫や細菌に強い防虫、防腐物質を木自体が持っている。もうひとつは樹脂(樹脂自体が殺虫殺菌効果もある)を含んでいる事ではないかと思われる。檜が古くから寺院などに使われてきた。材料の強さでは欅は檜の2.5倍の強度を持っている。しかし、200年でその強度は同じになり500年で欅の強度は失われる。 檜の強度は200年をピークにゆっくりと低減していき2000年経過しても半分の強度を有する。 木に限らず有機物は炭素、水素、酸素などの化合物である。劣化してもろくなるのは化合物の結合が蒸発等で炭素だけになってしまうからである。 樹脂を含有していると木材は組成の枯れの進行を抑えられる。人間も木と同様に肌は脂肪によって守られる。メタリックシンドロームの私が言っても説得力はないが


カルスト台地の民家
撮影場所 新見市

新見市は市の全土が石灰岩と言っても過言でない。平成の合併で周りの町村を合併したがやはりほとんどが石灰岩の上にある。石灰岩がどのようにして日本に存在するのは諸説があるようだ。地球の海が暖かかった頃に出来た珊瑚礁説と太平洋プレートの沈み込みで珊瑚礁の島が割れて日本の列島に押し上げられた説がある。 石灰岩は石のように固いが珊瑚の化石である。日本は資源の無い国だが石灰岩は潤沢ある。石灰岩はセメントの原料、製鉄には欠かせない。中和用の消石灰や乾燥剤には生石灰、不燃材としての石膏ボードなどに使われている。 日本の道路や建造物は石灰岩があるから大量に強固なものができたのである。 人間が昔から自然界の物を利用して何か別のもの作るには火を使い焼く、溶かす事から始った。セメントや鉄の製造も焼く、溶かす技術である。熱を加える事により化合物がバラバラに離れてしまう。相思相愛の男女の仲を強引に引き裂こうとするのと同じでなんとしても元の状態に戻ろうとする。セメントの場合は骨材と砂と水を加える事により元のように固く固まってしまう。鉄の場合は錆びてボロボロになり元の土に還ろうとする。

石灰岩のカルスト台地の農業は厳しいものであった。降った雨は地下に浸透するので川がほとんどない。田を作れない畑は石ころだらけである。掘った石は脇に積まれ石垣となる。地形も平坦ではない、窪んだ土地、ドリーネや石の露出したカレンフェルトがカルスト台地の特徴、小学校は大きなドリーネの中にある。石ころだらけの土地に作物を植えて生活するのはアイルランドのアラン島を想像させる。ドキュメンタリー映画の代表傑作と言われた「アラン島」は石灰岩の石ころばかり地のから土を作った。畑から出る石をうずたかく積み囲いとする。石垣が強風で土が飛ばされるのを防ぐ、そこに主食のジャガイモを植える生活が世に紹介された。代々積まれた石垣に人間の不屈の精神を見た司馬遼太郎氏は「街道を行く」でも取り上げている。


忌部という地名
松江市忌部町に茅葺民家が三軒あった。添付写真
忌まわしいという字がなぜ使われるのか疑問であった。
忌部と書いて「いんべ」と読むのだそうだ。忌部の地名を図書館で調べたら全国に三箇所あった。奈良の橿原市、徳島県の山川町と松江市であった。

疑問は解けぬまま、ある日、息子が高校で使っていた日本歴史図説を貰い受けて眺めていた。 大和朝廷の物部氏の部曲に忌部氏が所属しているのが分った。 部曲とは部場とか部署の意味だそうで職業(技術)集団をさすのだそうだ。 服部(はとりべ)、織部、山部、田部、鍛冶部、土師部、弓部、日下部、須惠部などがある。 服部(はっとり)や日下(くさか)は子供の頃、大変読みにくく覚えにくい苗字であった。 忌部は祭事、斎事を執り行う役目だったそうだ。皇室の行事、大嘗祭の装束を大忌(おおみ),小忌(おみ)と言う言葉が残っているのも名残りか。 今は伊部や井部に名前を代えているところもある。岡山の備前市伊部を調べたら忌部族が移り住み、祭事に使う焼き物を焼くのが起こりとされている。それを物語るように忌部神社が今も残っている。地元の人は伊部焼と言うが備前焼が一般化的になった。 私の故郷、徳島県には忌部神社が三箇所ある。忌部族が移り住み麻を広く植え織物が産業であった。忌部族の住んでいた一帯は麻植郡(おえぐん)の名が残った。

インターネットを見ていると副総理だったカミソリ後藤田の後藤田正晴氏は徳島県麻植郡の出身で忌部族の末裔であると書いてあった。後藤田正純は正晴氏の甥で秘書を務めた後、衆院に出馬した。水野真紀さんと結婚した事はみんなの知るところである。 話は余談だが藤沢作品の「蝉時雨 NHKテレビ」は素晴らしい作品であった。原作に忠実であったのと内野聖陽と水野真紀の演技が冴えた。結婚前で濡れ場をどうするかのか固唾を飲んで注目したがさりげなく終わった。山田洋次監督の藤沢作品は見たくない、原作と余りにも違いすぎる。私は山田監督を見たいのではない藤沢周平がみたいのである。大和朝廷から女優の水野真紀の話に飛躍する支離滅裂さが私の紀行文の特徴である。


inserted by FC2 system