日本脇道紀行8

夢想庵さん再度のPRありがとうございました。
一週間と長かったのですが親戚の協力で無事完了しました。私は家内が休めない途中三日間倉敷に帰ったが姉と兄嫁は毎日足を運んでくれ、家内の兄弟も当番をやってくれた。設営片付けは甥姪も総動員

見学者は200名と倉敷でやったときの1/4の少なさでした。

来ている人はゆっくり見えましたがその少なかった要因は 1.駅の近くのため駐車場がなく駐車料金がいる

2.主催者が県外のためマスコミの対応が積極的でなかった。事前にポスターや手紙を送り催促の電話を入れても取材に来てくれなかった。NHK.ケーブルテレビ、地元の新聞も夕刊だけ朝刊に載せてくれなかった。

3.地域性、関心度の強弱は地域で差がある。徳島は予想した通り相対的に関心の薄い

4.飛び込みで見に来る場所でなかった。見たいと思う人だけしか足を運ばない。

良かった点、
1.小学校の同級生男女7名が一緒に見学に来てくれた。久しぶりに出会いました。

2.写真家、三好和義のお父さんが見に来てくれた。三好和義氏は写真をやっている人ならば誰でも知っている写真家です。出身校から徳島の出身者である事は知っていたが育った町内の出身者であるのは知らなかった。

3.写真のテーマを探している人の参考になったでしょうか

4.独居老人や介護疲れの癒しの場を提供したでしょうか、写真を見て菓子を食べながら心にある事を一杯しゃべって帰っていった人もいました。

写真展をするのは大変エネルギーがいる。金は掛からないと言いながら出費はいる。こんなの開催しても自己満足のマスターベーションのようなものである。特に見学人が少なく反響がないと余計思う。 私はこれからあと三回テーマ違いで写真展をしようと思うのですが家内をどう説得しようかと思案中、 それでも反響があろうとなかろうと何かに挑戦する人生を送りたいと思う。人の物を見る人生より人に見せる人生を送りたいと思っている。

写真は岡山県清音村の民家、岡山県の中部地方の特徴がでている。昭和48年撮影


セカンドライフに夢想庵さんの名前があった。 ドキッ
ついにやってきたか。

セカンドライフの方にこんなサイトがあるよと紹介したのが運の尽き ここや「いらかぐみ」に投稿したのをコピーして投稿してました。

今年から仕事を辞めて年金の事を調べていたらこんなコーナーがあるのを知りました。堺屋太一氏の原稿を読んでいたらそこにたどりつきました。セカンドライフは何年も前からあるようです。 現役で仕事をやっている時は全く知らなかった。 40歳台、50歳台で昼間毎日投稿してくるのがいる。 それも難しい政治や経済の事をどこかに書かれている記事をコピペしてきて投稿しているようでもある。文章が新聞記者の書いたような書き方で客観的で温かみがない。こんなの投稿するならブラブラせず働いて税金払えよといいたくなる。

いい大学を卒業して役職についていた人も投稿しているので素晴らしい内容もある。 毎日見ていて為になる。私も紀行文を書くのに参考になるポイントをコピーしてワードに貼り付け残している。じっくり読むと時間が掛かり何も出来ないので30分で読める物だけにしている。

みんなからコメント貰おうと思えば仲良くこまめにコメントを入れる。 仲良しクラブに入らないとコメントもらえない。 (コメント返答に面倒時間取られる) このコーナーが生き甲斐になっている人もいるしネット中毒患者で一日見ている人もいる。

夢想庵さんが専門的な話を書けば誰もコメントくれない。男は女には甘いが男には冷たい。女は自分に興味が無い事や手に負えない事は書いてこない。 それでも女性はコミニにケーションの取り方がうまい。男は犬でもそうだがすぐ喧嘩する。

いい趣味を持って自分の世界を持ってやっている者は面白くないのでしょう。 コメント貰おうと思えばだれでも興味のある話題がよい。媚を売ってまで書き込みするかと言うところもありますが

写真 島根県安来市 メキシコブッシュセージ(アメジストセージ)の花だと思う。
10年ぶりに訪れたらまだ民家は残っていた。去年の写真、今年はほとんど動いていない。


岡山県旧勝田町と鳥取県智頭町に行ってきました。
勝田町木地山、智頭町がどうなっているか12年ぶりに訪れた。

次男が高校を卒業して春休み、四月から東京で暮らすので家内かどこかへ連れて行っやってよと言うので茅葺き民家撮影に連れて行った。それ以来である。 山間部は50センチは雪があった。
勝田町にも25軒は茅葺き民家が残っていた。
智頭町はまだかなり残っていた。
茅葺き民家は無くなっているのは想像できたが、山間の集落が壊滅しているのではと懸念していた。
茅葺き民家はほぼ壊滅、人の住む家が勝田町、智頭町で一軒づつ、あれだけあった智頭町で5軒ほどになっている。
それでも山間部であっても家は建替えてそこに住んでいる家が多かった。他のところに移り住んでも土地を新たに買って建てるので大金がいる。土地だけはあるので不便でも住み続けるのでしょう。 山間の土地は売ってもいくらの金にもならず、所得も低いので田舎を離れる事が出来ないのでしょう。

智頭町の杉林の麓に建つ家


一週間ほど前でしたでしょうか、ビルや建造物を解体、撤去する番組をやっていました。 見られた方もおられるかもしれません。
ビルなどは火薬を使い一気に倒壊させる技術が紹介されていました。中に茅葺き民家の解体がでてきました。全部はがして柱だけ再利用するものです。多分、煤竹などは別にとってあったのでしょうか 組み立てた逆に解体していく様が放送されていました。足場もなしで企業の安全対策ではは考えられない軽業でした。 それを見ていてこの家撮影した事があるのに気づきました。まぎれもなく写真の家でした。 群馬県沼田市の民家でした。

築後百年以上経過した民家でした。八十を越えた老夫婦と息子家族の同居でしたが、この家はお爺さんの歴史でもあるのでしょう。解体する時はところかまわず夫婦で大泣きをしていました。 歴史ある民家が消えた瞬間でした。

その後、新しい家の建前や出来上がる様子も放送されましたが、大泣きしていた老夫婦はどうしているのかおもいましたら新しい家に晴れ晴れとした様子でした。大雨で雨漏りの心配もなく暗くて寒くて臭い家にすまなくてよい安堵感が伺えました。
現在も茅葺き民家を維持し住まれている方には頭がさがります。
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