日本脇道紀行8

養蚕に使われる蚕はカイコガの幼虫で5000年前から人に飼われたため昆虫の家畜化と言われている。そのためか数を数えるのも一頭二頭と呼ぶ、腹脚が退化しているため枝に止まって這う事も枝葉に繭を作る事が出来ない。人が桑の葉を与えて飼育しなければ生きられない。また繭も人工的な枠の中で作らせる。 養蚕に対して天蚕がある。今でも長野などでは行われているようだ。これを教えてくれたのは「秋田の茅葺き民家のページ」の五万米さん。天蚕で飼育されるのはヤママユガとウスタビカの幼虫だそうだ。クヌギ、ナラなどの葉を食べ自分で葉裏に繭を作る。ウスタビカは緑色の繭で採ってくれた。車に吊るしてお守りにしている。ヤママユガとウスタビカの繭の写真に興味のある方はホームページ、「秋田の茅葺き民家のページ」の繭のところを参考にしてください。

生糸、絹織物は明治から昭和初期に掛けて輸出産業の華で外貨獲得に貢献した。しかしナイロンなどの化学繊維の製造とライフスタイルの変革で絹の需要は減退した。また人は人工で絹の製造を目指した。人絹である。もう死語になったこの言葉は人造絹糸の略である。パルプやコットンリンターを薬品で溶融し希硫酸やアンモニアの中に紡口から出し糸にする。絹に似た風合いの繊維が出来る。石油を原料にする化学(合成)繊維に対して植物を原料にするので再生繊維といわれている。かって日本の繊維メーカーは人絹つまりレーヨンの名が付いていた。東洋レーヨン(東レ) 帝国人絹(テイジン)、倉敷レーヨン(クラレ)、三菱レーヨン、東邦レーヨンがあった。戦後の繊維は合繊繊維に取って代わった。ナイロンはデュポン社の商品名でそれ以来合成繊維にはロンの付く商品名が多い、テトロン、ビニロン、カシミロン、ピューロン、ザイロンなど ナイロンという繊維名はなく正式にはポリアミド合成繊維、テトロンも東レとテイジンの商品名で正式にはポリエステル繊維


東北旅行に行きました。
菅野さんから情報をいただき無駄のない手順で行くことができました。
大変お世話になりました。日程は一週間、東北まで片道2100円で行けました。 初日 福島県二本松で降り撮影、時間があったので「智恵子の生家」に立ち寄る。 智恵子って松原智恵子の生家と聞くので「まあ、松原智恵子も智恵子に違いないが」と立ち寄った。もう記念館は閉まっていた。入り口に飾ってある写真を見て松原智恵子でない事に気づいたようだ。家内は歴史や文学には疎い、智恵子抄を智恵子ショーと言わなかっただけでもましだ。 私も智恵子抄など読んだ事はない、中学の国語の教科書で習ったような習わなかったような知識でしかない。賢人は沢山の本を読み知識としてもっているのであろうが凡人は気づいた時に調べればよい。こんなの知っていたからと言っても生活の糧にはならない。知識ぶって解説されても聞く人間はシャクに触るだけだ。

私にとっては智恵子抄を知っている家内より東北まで1000kmを早朝から疲れも見せず車を運転してくれる家内のほうが有りがたい。 智恵子の夫が高村光太郎で十和田湖「乙女の像」の作者であることはついぞや口にしなかった。十和田湖の乙女の像を見にいくがどうかで大喧嘩になった過去の記憶がよみがえる。新幹線で盛岡まできてレンタカーで東北を撮影して帰りに十和田湖に寄った。 私の茅葺き民家に時間をとられ新幹線の出発時刻に余裕がなかった。十和田湖まで来ているのに乙女の像を見ると言い出した。車で近くまで行けず徒歩で往復30分かかる。家内だけ見に行った、予想以上に時間が掛かったので口喧嘩になった。もう2 時間40分しか時間がない盛岡までどれくらい掛かるか予想もつかない。家内は高速道路を150km/hで飛ばしてレンタカーを返してギリギリセーフだった。 遅れてもよいこんな運転止めてくれと何度も懇願したが意地で走り通した。それから一週間ろくに口も聞かない日々が続いた。男の怒りはすぐに収まりケロッとするが女の執念深さを改めて知った。

立ち寄ったところ茅葺き以外に厳美渓の空飛ぶ団子、中尊寺、上杉神社(家内は妻夫木の看板と写真とり満悦) 猊鼻渓 、白布峠を越えて裏磐梯へ抜けた(峠の手前に白猿を見たら虐めないようにと書いてあったが意味?)。


トウモロコシは玉蜀黍と書くそうだ。
トウモロコシはポルトガルから16世紀に持ち込まれたものらしい。
日本にはトウモロコシより先に中国から唐黍が入ってきていた。
唐黍はキビ、コウリャンの類と考えられる。唐から来た黍なので唐黍、蜀黍と書きモロコシと呼ばれるようになった。
唐黍と書いてどう見てもモロコシとは読めない。モロコシは唐土と書き中国の古名である。私の想像では中国からの物なのでモロコシと呼ぶようになったのではと思う。

初めて見るトウモロコシに唐唐黍と付けた。外国から来る舶来品には何でも唐の字をつけた時代である(唐辛子、唐芋) しかし、唐の字が二つ並ぶのと玉のように光輝く実にモロコシ(蜀黍)を付けて玉蜀黍になった説が強い。 玉蜀黍は三大穀物のひとつで玉蜀黍を主食にしている地域も多い。 三大穀物の年間生産量は米6億1000万トン、小麦6億590万トン、トウモロコシ6億9500万トンでトウモロコシが一番多いが食用油やバイオ燃料になっている物もあり主食にどれほどなっているか不明。
日本にも古くから主食の穀物、五穀、十穀の言葉がある。
五穀豊穣を願った慣わしがあるように食べられる穀物は何でも口にしてきた。
五穀とは米、麦、粟、稗、豆を指す事が多い。不思議と日本にはトウモロコシは穀物として受け入れなかったようだ。東北の岩手などでは米の不作に備え雑穀を植える習慣があり今でも植えているのを目にする。

トウモロコシは各地で呼び名がいろいろあり面白い。
例を挙げると、キビ、トウキビ、セータカキビ、ふくろキビ、コウライ、モロコシ、タカキビ、トウタカキビ、なんばん、ナンバなどである。 近畿圏や四国の一部、岡山はナンバと言う。
ナンバは大阪難波ではなく南蛮の略である。トウモロコシをナンバンと言う地域もあり、ナンバンと言えば唐辛子や「しし唐」を指す地域もある。 南蛮は南蛮菓子や南蛮漬けから南蛮キセルなどの花の名前まであり舶来品の代名詞でもある。
南蛮の言葉は中華思想の四夷の一つで南方の野蛮な国を指す。四夷は周辺の国々を見下し侮辱した言葉でどれも悪字が使われている。 四夷とは東夷(とうい)、北狄(ほくてき)、西戎(せいじゅう)、南蛮(なんばん) 日本でも蝦夷と言うのは未開発の野蛮な土地の差別用語でもある。
差別用語はどこの国にもある。欧米人は日本人のような黄色人種は人間と思っていなかった時代もあった。日本も欧米人を毛唐やアメ公、ロスケと呼んでいた時代もあった。
下記の日程、場所で写真展をします。

場所 徳島市 ヨンデンプラザ展示場
月日 平成21年9月14日(月)から20日(日)
時間 10時から17時

写真は倉敷でやったのをそのまま使おうと考えています。場所が違うので誰も分る人はいないので
やろうと思いたったのは私の母親93歳と義母が生きているうちに見せてあげたい思いもありました。金を掛けず会場が借りればと電話したところ空いているとのことで早速申し込みました。 会場は電力会社の展示場です。電力会社は県庁所在地ならば立派な展示場をもっています。私の借りるところは料理教室や小ホールも一緒になっています。どこの家庭でも電気を使わない家庭はないと思います。

電力会社はユーザーへのサービスの一環でこんな会場を無料で貸してくれます。
岡山市などは無料のため抽選で三回くらいチャレンジしないと借りられないのが現状です。
私が電話して確認したかったのは四国電力の利用者で無いのに借りられるのかと聞いたらOKですという。抽選はいつありますかと聞いたら八月、九月で空いているところがありますというではありませんか、八月に空いているのは阿波踊りの期間でした。交通規制もありこんなときにやりたくはなかったので九月にしました。

母に写真展をする旨を話したら一番乗り気で実行委員長として孫や曾孫に協力要請を指示するわ、マスコミに電話して取材してほしいと事前に根回しのいいこと。写真展のポスターを作り姉と母に送ったらあっちこっちでPRしてくれている。こんなのは女に任せるものだ。松山に住む兄貴にその事を話したら「母を刺激してやる気起こすような事をしたらアカン、これで寿命がまた二年は延びた」
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