茅葺散策旅行中国・四国編3・4日目

散策3日目
ホテルを6時に出発。高知県から京桂峠を越えて徳島県へ向う。東祖谷に向うが、山中では、野生のイノシシがのんびり道路を横切る。カメラを出すが間に合わず、藪の中に消えていった。沢向かいに茅葺きの民家を発見するが、どうしてもポイントの場所にたどり着けない、奥が深く迷路の様な祖谷の道。撮影を諦め、かずら橋方面に向うと、三人娘??が茶つみをしていたので、パチリ。かずら橋に到着。数件の茅葺きを写真に撮り、美馬郡一宇村河内付近で、トタンに変わってしまったが、素晴しい景色を眺め、徳島県貞光町に向う。二重うだつの町並みを散策、指定民家や町屋をみて一路、富山県、高岡市に向かう。

徳島道○○SA付近には茅葺きが有ると、桃太郎さんから情報を貰っていたが、高岡のホテルの到着時間を考えると、諦めざろう得ない。高速から、情報の民家らしき家が見えた。状態は良い様だ。後髪引かれる想いで、また機会が有れば訪問しようと、自分に言い聞かせ富山県高岡市のホテル着、午後8時。明日は帰路に着くが、五箇山の合掌造りを見ていこうと一人考える。。。高岡市の居酒屋、五郎八で乾杯!爆酔、爆睡?

散策4日目最終日
高岡市のホテルを出て、ナビに目的地、五箇山を書き込んだが、白川郷も、そう遠くは無い。というより、高速で行けば、五箇山の次のインターが白川郷だ。去年の7月以来、約1年振りに白川郷荻町集落を訪問した。まだ朝の7時。観光客の数も少ない。城山展望台かや朝の荻町集落の写真を撮り、五箇山、菅沼集落~相倉集落へ向う。相倉集落は午前8時前の入村は規制されているが、到着は8時5分。駐車料金を払い、集落を散策。すると神社?の前に三人の爺様?去年散策した時は三婆に出会ったのだが・・・今年は三爺に出会った〔笑〕帰り道、欲張りな夢想庵、時間が少し有るので、新潟県高柳町荻ノ島に立ち寄る事にした。

荻ノ島も今年の3月以来だ。田植えも終わり、初夏の陽気だが、ここに来る度に、茅ぶき民家の数が減少していたり、この所、荻ノ島も空き家の数が目立つ様になってきた。雪のある時は、雪囲いなのかな?と思って見ていたが、春に成ってもその雪囲いは取り外されない。私は茅葺きの民家の数を数えてみた。本茅葺きの民家14棟。その中で移築新築?の民家「施設のような建物」3棟、空き家4棟 人の住む茅葺きの民家は7棟だった。この集落も早めに手を打たないと、いずれ消えて行く運命なのだろうか?荻ノ島には、1998年頃30棟以上も茅葺きの民家が残っていたのだが・・・・この所ここ荻ノ島でも茅葺き民家の急激な減少と過疎化、高齢化が目立つ様な気がする。

観光化されて居ない分だけ集落としての収入も少ないのであろうか?観光化をしながらの茅葺きの民家の存続も検討しなければ成らないのか?見る側に立てば、自然のままの営みを見たいし、見せる側に立てば、来てくれたお客様にお土産の1つも買って欲しい。福島県下郷町の大内宿は茅葺き集落が旧街道筋に騒然と建っているが、その殆どが、お土産や工芸品を販売している。重伝建に指定されてから思考錯誤を繰り返しながら、今の形が出来上がったのだろうが、些か観光化し過ぎてしまった。しかしこのようにそこに住む人達にも、金銭的にも恩恵が無ければ、今後の茅葺きの民家の存続は難しい様にも思えたのです。

今後、茅葺きの民家達はどの様な形で残って行くのだろうか?

北陸、磐越道を乗り継ぎ、自宅到着は午後4時半。総走行3335キロ 3泊4日、今回もハードな旅だったが充実の旅だった。
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