二本松市の民家

2009年4月9日の朝刊、ふくしま里山物語と題したコーナーに茅葺の民家が福島民友新聞に紹介されていた。

福島県二本松市?私のテリトリーだ!しかし今まで見た事が無い民家が紹介されているのである!記事を紹介する。

その家に住む方は、親から水稲と養蚕を受け継いだそうだが、養蚕は採算が合わずやめて、かつて桑畑だった所に椿を植え、今年初めて収穫した種から椿油を搾るとの事だった。米作りは無農薬に拘り生産した米や雑穀、根菜類を消費者に直接販売しているとあった。

12年前に所有する山林の9割を保安林に指定してもらい、山林の所有者本人でさえ許可なくしては、山林を伐採出来なくした。林に住む生物や動物を守りたいと言う気持ちからだ。

日本野鳥の会、県自然保護協会の会員としても活動し、自身の山林をも含めフクロウやムササビのための巣箱を長年設置しているそうである。

明治初期に建てられたと言われる家はサッシなども入っておらず、土間も健在だった。出来るだけ化石燃料を使わず、在でも薪で風呂を沸かし、暖をとる。米や野菜は自分で作り、水道は井戸水なので、後は「電気の自給」と○○さんは笑う。その目には、決っして夢物語ではないとの決意が見えた。とあった。民報新聞の記者 矢内靖史さんが書いた記事を要約した。

杉林〔いぐね〕を背にした茅葺の民家は正面から左に蔵を配し、母屋の右手に倉庫と車庫があり、坂道の途中に炭焼き小屋があり、まさに里山の風景である。気には成っていたが、出張に行く日の朝の朝刊だったので、戻ったら新聞社にメールか電話をして所在を教えて貰えるか問い合わせしようと思い、仕事にでかけた。

出張から戻ると、女房が9日の新聞に二本松の茅葺の家が載っていたので、取っておいたと記事を用意しておいてくれた。早速、民友新聞に記事の家の所在を教えて頂けないか?個人情報の関係もあり無理なら○○地区だけでも良いので教えて欲しい。節度は守り、家主さんには迷惑を掛けないので宜しくお願いします。とメールをした。

この手のメールは、今まで役場や自治体には、何度もメールや手紙を書いたがまともな返信や返事が来た事が無い。自分達の連絡先〔電話やFAX〕やメールアドレスを公開しておきながら、返信が無く、音沙汰なし何て事は当たり前なのである。しかし、役所同士だと動きが早い、今は自治体や役場にお願いや情報の提供をお願いする時は、役所の関係者からしてもらう事にしている。

今回も役所と報道関係との立場こそ違うが、返事があるか?有っても多分忘れたころだろうと半信半疑でメールをすると、驚いた事に送信して2時間も経たないうちに自宅に新聞社の担当者から電話があり家主さんから撮影の了解を貰ったと、住所、電話番号を教えてくれた。誠に嬉しい誤算だった。早速、お土産を買い求め、4月の11日、二本松市の鈴石屋で蕎麦屋のカツ丼を食べて、目的の家に向かった。

住所を聞いて何度も通っている道だが、実際伺うと、私が通る方向からでは、その家は視野に入らない。途中、畑仕事をしていた叔父さんに聞きながら辿り着いた。坂道の途中に炭焼き小屋、高台に母屋と蔵、里山の風景があった。挨拶をしたが、人の気配が無い。一通り写真を撮り、お土産〔秋刀魚の開き〕を置き、名詞に裏書をして、帰路に着いた。片兜造りのこの土地ならではの養蚕農家の民家だった。 しかし、良くも残ったな~?と女房に話し感心しながらの道中だった。何日か後に礼状の葉書が来た。

それから、一週間がたち、どうしても本人に会い話がしたいので再度出掛けて行った。今度は本人に会う事ができた。先日お邪魔した時は、田んぼに居たらしく、今回はお昼休みにお邪魔した。スイッチを入れれば電気が点灯し、時間が来ればご飯が炊き上がる。24時間お金さえ払えば、何でも買えるこの時代に、不便と言う拘りを持ち実践している、家主さんともお話して、その人の人となりを感じ現代版、宮沢賢治を地で行く生き方に感心するやら、へこむやら、人それぞれ生き方は千差万別だが、先週、自身の年金支給の見込み額を見て我が目を疑った。このまま行けばサラリーマン生活も40年軽く超え50年に近くなる。厚生年金で悠々自適な老後とはかけ離れた支給見込み額に、死ぬまで働かなくては?と再認識させられた〔笑〕

現代生活にどっぷり浸かった夢想庵の生活スタイルでは、自給自足の生活は絵にかいた餅である。自給自足?今年もなす5本、ピーマン2本、唐辛子3本、ミニトマト2本丹波篠山の黒豆を5~6本植えた。まともに育つだろうか?酒好きな夢想庵、どぶろく作りならやってみたい。しかし酒税法違反になるのだろうか?
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