石川屋旅館でのオフ会と古民家模型展パート3

模型展過去2回の作品展は、仲間達に手を借りての模型の搬入搬出だったが、今回は作品の数も多いので、いわき市暮らしの伝承郷が、「予算」を取ってくれて、日通さんに自宅から作品の移動をお願いしたので、私の負担が少なくなり本当に助かった。友人知人に搬入搬出を手伝って貰っても、お礼はしなくては成らない。連日、福島民報、民友、いわき民報、広報いわき、FMいわき、各メディア等で報道して頂き、多くの市民の皆さんや近隣の県からが来館して頂き心より感謝する。

期間中、週末とお休みの日は、暮らしの伝承郷に行っていたが、地元はもとより遠方より多くの知人友人達が来館してくれた。楽しみにしていたのですが、残念ながらお会い出来なかった広島県から来館してくれたルナルナさん、娘さん同伴で横浜から浜のチョーさん、奈良からバイクのショーケンさん、茨城県稲敷市から山口さん御夫婦、岩手県北上市から渡辺金男さん御一同様、秋田県は大仙市から山根のママ夫婦、新潟県長岡市から田中征四郎さん御家族、新潟市内から新潟の母ちゃん御一行、女池から渡部さん御家族、沼垂のターボー、SMKのメンバーは福島から宮城から二度来館、新庄市から公私共々お世話に成っている国分さん御家族、郡山市から飲み仲間の村田さん御一行、根本運輸御一行様、佐藤さん、田村市から吉田さん、宮城から渡邊建材御夫婦、その他、県内外からも多くの知人友人達が拙い作品を見に来館してくれた。

サプライズは愛知県新城市から、望月家(重文)の御夫妻が来館してくれた。去年の冬、新城市の望月家にお邪魔した時、愛知県は望月家を模型に作りますとお話したら、展示会には福島まで来られるとのお話だったので、半信半疑で案内を差上げたが、連絡が無かったので、来ないと勝手に思い込み油断してしまった。自宅の留守電のメッセージが入っていたと女房からメールがあり、何とか連絡が着かないか?望月さんの自宅に電話をしたが、こちらも留守電だった。後日、望月さんから電話を頂き、会場に行けば会えると思っていたと話していたが、如何せん私は現役のサラリーマンなので休みの日にしか会場には行けなかったと伝え、お会いして色々とお話しもしたかったと伝えた。また東北を満喫しに来ると話していたが、何時かまたお会いしてお話したいと思っている。

5月11日日曜日には、今年度、第一回目の伝承郷講座「茅葺き民家の分布と特徴」と題した講座を私の様な「民家好きの素人」が多くの市民の皆様や民家愛好家や探訪家の方達の前で生意気にも、「かやぶき民家の現状や分布特徴」についてお話しを聞いて貰う事が出来た。質疑応答で一番前の方に座っていた男性の方が随分専門的な質問をするな~?と思いきや、帰り際に名刺を頂いたら一級建築士だった(笑) 伝承郷講座終了時、息子の様な大和魂君がダビングしてくれた、BS「~熱中時間忙中趣味あり~」出演時のDVDを講座を聞いてくれた方達の希望者にプレゼントし無事、伝承郷講座も終了。模型展もあと一週間を残すのみ、ゴールが見えてきた。 アマチュア趣味人の私に、この様な、機会を与えてくれた、小野館長、廣岡副館長、学芸委員や職員の皆さんに心より感謝する

私の尊敬する今和次郎先生は、生涯をイガグリ頭にジャンパーとズック靴で通し、早稲大学で教鞭をとっていた時も、授業はもちろん、入学式や卒業式にもガウンの下はジャンパーだった。☆勲二等の内示があった時にはモーニングを着用しなくてはならぬと聞き、ジャンパー姿でも貰える勲四等にしてくれと頼んだ話は有名。心底からのリベラリストであり、フィールドの人でもあった。寺田寅彦、早川徳次と並ぶ「銀座の三奇人」の一人。私もこんな生き方をしたいものだ。

18日、展示会の最終日には、私のHP掲示板の常連の岡山県倉敷市の桃太郎さん御夫婦が東北漫遊の旅の帰りに立寄ってくれた。切れのある写真と絶妙でユーモラスな投稿文でセンスと有余る才能を持った方でお会いして、お話するのが本当に楽しみな方の一人だ。今回も車椅子持参で少なくなった茅葺の民家を精力的に追いかけて来たようだ。何処まで北上しました?竜飛まで行ってきた!エエぇ!岡山~青森県竜飛!津軽半島の突端だ。相変わらず凄い行動力ですね~!何てお話しながらの会食は至福の時間だった。 翌日、会場にも来てくれて、お話も出来ましたが、桃太郎さんと写真や民家、雑学「民族学」のお話をはじめると、時間の経つのを忘れる。軽妙な語り口で桃太郎ワールドに引き込まれてしまうのである。本人や奥さんは謙遜するが、あらゆる情報をメモしたり調べたり熱心な方だとお話を伺っても感じるのだった。こんな才能豊かな方と出逢えた事に感謝する。

会場でも話したが是非、写真集の出版をお願いしたい。きっと、今まで、どの写真家の方達も発表出来なかった、その屋根の下に生活感があり営みが垣間見れる写真集に成る事を確信しています。私のHPの「桃太郎さんの写真館」を見て頂ければ一目瞭然です。絶妙巧妙な解説も楽しみです。お祝いの寄せ書きも訳の解らない的外れの事を書くような地元の名士や文化人?より、今もひたすらに茅葺の民家を追い求めている写真家Sさんの様な方にお願いすれば良い。何て勝手に盛り上がった。

※余談だが今和次郎が『日本の民家』の序文で、1917年の白茅会の発足、翌18 年の郷土会との内郷村の合同調査および「わたくしは旅行をはじめてからまる五 年になる。その間しよつちゆう可愛がつて手びきをして下さつたのは柳田國男先 生である」と柳田國男との親しい関係についてふれている事はよく知られている。 さらに1944年刊行の『暮らしと住居』の序文では、「この本の標題は柳田國男先 生がわたくしに指名で与えられたのですが、かつて「日本の民家」をかきました とき、先生から批評を頂いて「君のかいた家のことは家の中に生活している人間 をぬきにしている」といわれたのを記憶している。それで今度の指名は、人の生 活を入れた住居の事をかいてみろとの御主旨かと存じたのでした」と、柳田國男 が『日本の民家』については厳しい批評をしつゝも、その後も今和次郎に対して 期待するものがあったことを示しており、今和次郎もまたそれに対して一所懸命 に応えようとしたのであった。 柳田國男と今和次郎を引き合いにしたが、桃太郎さんの写真には、その屋根の下に住む生活の臭いのする写真が多いのである。

いわきから倉敷市の自宅まで高速で12時間、運転の奥様、本当にお疲れ、ご苦労様でした。総走行3000キロは越えたでしょうか? 我が女房なら100万やるから倉敷まで運転してと言っても絶対無理!の答えが返ってくる事は間違いない。

勿来町の知人、我妻さんの奥さんは、御夫婦で来館、両親兄弟を連れて、友人達と2回、計4回来館してくれた。私の知る限り会期中、最多来館者だった。何時も夢想庵さん又来ました~!と明るい笑顔を振りまいてくれた。華道も極めている方で、自作の花台を差上げたら、その喜び様は半端じゃなかった。今回の来場者プレゼントも心中はこの人に当たって欲しいと思ったが、そんなに出来すぎた結果は有り得える筈も無かった。

※正直、私の中では、この様な大掛かりな模型展は今回が最後だと言う気持ちで望んできた。自宅からの移動の費用(今回は無料)も馬鹿に成らないし、作品を動かせば、必ず傷みが出る。プロの方達に搬入搬出を頼んでもそうなのである。自分自身の中で、全国展と言う、区切り着けることが出来た事が何よりだった。しかし、数点の展示協力などが有れば、話は別だが自分の気持ちの中では、今回が一応ゴールだと思っている。

これから、また少しずつ題材を見付けたり、散策を楽しんだりしていきたいと思っている。伝承郷では、付き合いの一番長い、学芸委員の渡邊さんが、夢想庵さんのHPでは、全国展に成っていますが、これから先、パート4、5も有る事を期待して、全国展としなかったとお世辞でも嬉しい事も話してくれた。

会期中、多くの市民の方達が来館され、多くの励ましや感想を投函いただき感謝します。これからの夢想庵はのんびり観光などもしながら、少なくなった茅葺の民家達を追いかけます。

今回の来場者プレゼントの結果は、嘘の様な結果が待っていた。小野館長が引き当てた当選者は、私が模型に製作した、いわき市小川町相川集落に有った旧猪狩家のお孫さんだったのである。「お婆さんの家が模型でみれて嬉しかった」とのコメントだった。館長が当選の電話をした所、お子さんが産まれたらしく、入院中との事で2重の喜びだね~!と話していた。近い内に皆様からの応募用紙の感想も届くだろうから、その中から友人のFさん夢想庵ママと厳正に協議して?もう1棟プレゼントしたいと思っている。
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