「有限会社 菅原興業」

宮城県岩出山町「現大崎市」平成の大合併で古川市などと共に大崎市に吸収された?ササニシキの故郷、旧古川市から国道47号線を走り、鳴子町に向かう途中の町だが先月、この町で素晴らしい男性との出逢った。

私は自動車関係の仕事をしている。しかしHPはプライベートな事で、仕事の事はあまり書くつもりも無いし今まで殆ど書かない様にして来た。しかし、今回は書かない訳にはいかない!

あるディーラーの営業さんから、今、私の会社の商品を商談中なので、ユーザーの所に直接行って仕様の打ち合わせをして欲しいとの連絡が入った。

「旧岩出山町、R47を鳴子方面に向かうと左右にポツポツと茅葺きの民家が見えてくる。この地域には、「スレート瓦」粘板岩の薄い板で魚の鱗の様に屋根を葺きあげる民家の南限に近いのではないだろうか?茅葺きの民家同様にその数は近年急激に減少している。」

電話で住所を聞きナビで検索したら、岩出山でも茅葺きナンバー1ではないか?と思われる民家の近くだ?営業さんの話だと、どうやら葺きの古民家を再生して事務所にしているらしい。行けば分かるとの事だったので、半信半疑で尋ねてみた。

まさに茅葺きの家「寄棟」を再生リフォームした事務所だった。社長自ら、ビニールハウスの中でトラックの塗装をしていた。私は53歳。その社長はどう見ても30代!まさにやる気満々の豪腕、若社長だった。

一通り仕様の確認をした所で、社長!仕事の話はこの位にして、少し質問して良いですか?社長は一瞬構えたが、何の質問????この事務所は、社長が生まれ育った家を再生したんですか?いやこの家は自分が中学か高校の時から空家だったんだ。こんな家に住みたくて買ったんだよ。親はここから数百M先の所に住んでるよ。どうしてそんな事を聞くの? 実は、私は趣味で茅葺きの民家を日本中追いかけて居るんですと話した。古民家は良いよね~!コタツのある部屋に居る時が一番落ち着くし、くつろぐよ、と社長は笑った。

ここで、「岩出山、古川、鳴子」周辺の特徴ある民家の形態を書いてみる。

一方が寄棟や入母屋で、もう一方が切り妻屋根の下側に屋根が入り込み繋がり、馬屋を形作っている住居をこの地方では、「つるみや形式」と呼んでいる。

ある家は、主屋が間口4.5間 奥行3間 馬屋部分は間口2間 奥行2間、馬屋には第2次世界大戦前まで、馬を飼っていた。昔は、馬の産地として有名だった。大正天皇の愛馬、玉鳴号は鳴子産の名馬である。戦後は馬から牛の飼育となり、現在では馬屋の部分は、納屋やトイレに改造されている事が多い。建築年代は明治時代中期の建築が多い。

そんな社長と夢想庵!意気投合しない筈が無い!仕事の話もそこそこに、菅原興業の社長の人となりに興味がわくのである。話しする中で、若さは最大の武器だと感じた。未だブレーキ無しの経営。勢いだけかと思えば、大胆な決断も出来る。21世紀型の経営者かも知れない?繊細且つ大胆で決断も早い!R47号線には、お得意様も多く居るが、将来が楽しみな経営者との出逢いだった。 私が、若いのに良く古民家を事務所にしようと思いましたね?と話したら皆に言われますよ。と答えてくれたが、「温故知新」過去の事実を研究し、そこから新しい知識や見解を開いていって欲しい。。

仕事柄、近代建築や鉄筋コンクリートの会社や事務所での打ち合わせや商談も多いが、私好みの事務所と若い頃は「やんちゃ」だったろうと思われる菅原社長!(有)菅原興業の更なる発展を願うばかりである。社長!お子さんは?3人。一番下のお子さんが女の子で6歳?後日、いわき名物、白土家のジャンボシューをプレゼントした。大酒飲みに見える社長?以外にお酒はあまり飲まないらしい? ジャンボシュー、甘さ控え目で美味しかったよ!甘さ控え目じゃないと食べられまい。そのジャンボシューは直径30センチ近く有るのです。

先日、仕様の最終確認にお邪魔したら、岩出山名産の大久保製菓の「かりんとう」を一斗缶入り2缶お土産に持たせてくれた。さすが菅原社長やる事もデカイ!新潟工場の事務所全員で御馳走になり、家族でも暫く「かりんとう」を食べられそうである。

夢想庵の刻字をプレゼントした。禅語「無一物」人間生まれて来る時も、死ぬ時も裸である。何も持って生まれて来ないし、何も持って死ねない。簡単に言えば、そんな意味だろうか???後日、事務所を訪ねると、玄関から正面の一番良いポジションに刻字が飾られていた。自分の若い頃と同じ匂いがする、この社長ならプライベートも付き合えそうな気がする。
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