茨城県・大子町S邸

茨城県大子町S邸
茨城県は八郷町に多く茅葺きの民家が残り、注目される事が多いが、私は自宅から比較的近く、高速を使わなくても1時間半~2時間位で行ける大子町、常陸太田市、常陸大宮市や鮫川村を良く散策する。11月9日[日曜日〕、小さな相棒と本当の相棒(女房)に付き合って貰い、蕎麦でも食べながら大子町で林檎を買って遊んでこようと自宅を出た。

大子町の散策は、必ずS邸からスタートする事にしている。こんにちは~!お爺さんが小豆の殻を枝から外し筵に干せるように段取りをしていた。大変ですね!年寄り仕事だよ。何処から来た?福島県いわきから。遠くから来たな~!そんなに遠くはないですよ。何度も会っているのに忘れられてしまう(笑) 印象度が薄いか個性が無い夢想庵?自分では個性の塊の様な男だと思っているのだが。写真、撮らせて下さいねと、了解を貰い撮影するが、2匹のワンコ達が吠える!吠える。吠えない犬は番犬に成らないからしょうがないが、とにかく良く吠える犬達だった(怒)

茨城県内全域でも、茅屋根の長屋門と母屋がセットでロケーションの良い家は本当に少なくなったですね~!私の知る限り、大子町ではゲルト・クナッパー邸とここのS邸位ではないでしょうかね?ゲルトさんの所は千木ですがSさんの所は竹簾巻で棟仕舞いは、ひしぎ竹での装飾は格式が有りますね。私の大好きな家です。と話したら、お爺さんが、この家も来春には、改築するんだ。孫達も帰って来るのか、どうなのか?昔は自分達夫婦、息子夫婦と孫が3人。賑やかな時代も有ったが、今は息子夫婦と自分の3人暮らし。世帯主が息子だから、「老いては子に従え」の格言通りに、息子が改築すると言うから反対は出来ない。
自分が世帯主の頃は、屋根をこんな状態にした事がないと話していたが、この家を守る事に対して、お爺さんと息子さんとのかなりの温度差がある事をお爺さんとの会話で感じた次第です。

所で、どんな風に改築するんですか?この家と長屋門と母屋と棟仕舞いは、指定民家級の建築物ですよ!大子町の協力で何とか守れないんでしょうかね?屋根工事の補助があれば少しは楽なんですけどね。ゲルトさんも、今の住まいを手に入れたとき、大子町に保存について掛け合ったが、冷たい反応だった。と言っていたがが、どの自治体も緊縮財政の現在で、やはり個人の所有建造物ではある特定の個人に対しての補助は無理なのだろう?。現在サッシも入っていない、改造はされているが、建築当初に近いこの家は、一旦、現代風にリフォームされたら茅葺き民家としての評価はゼロになってしまう。

お爺さん曰く、自分の人生はこの家と共にあった。毎年の様に円を描く様に屋根の刺し茅をして、飛び石の土台から、一度、家ごと持ち上げて基礎工事。立派な式台も昔は鎧戸が着いていたんだと自慢げに話す。この見晴らしの良い高台に住み、これだけの家を建てた御先祖様は相当に権力が有ったんでしょうね?農地解放以前は、眼下に見える田んぼや畑はS家の所有だったんでしょうね?と質問したら、な~に唯の百姓だと笑った。

何度も何度も話す。自分が世帯主の時は、屋根をこんな痛んだ状態にした事はないが、大子には今、茅手がいない。居ても、仕事が出来るような茅手はもう居ない。今は常陸大宮市から茅手が来ていると話していた。1日の手間も2万3千円奥さんが手元で1万円と話していたが、それでは茅屋根の維持は今後益々困難に成るだろう。

自分が死ねば、息子夫婦だけだから、玄関横の物置の部分と式台横の和室の部分を壊して改築するとの事。この家の間口は?一間二間と数えたらお爺さんが12間半だ。改築の時は9間位にしてトタン屋根にするようだと話してくれた。

食の安全についても話していた。この小豆、30キロ製品にするまでは、4日掛かる。こんな事は年寄りしかやらないよ。長屋門の所に大豆も干してある。それも脱穀して、その後に干し柿作りをすると話していた。そういえば、去年お邪魔した時も、この式台の所で大豆の選別をしていた。

そんな話を聞いたから?もう最後だと自分に言い聞かせるように100ショット近く撮影した。このS邸には四季を通じて通い癒された方達も多い事だろう。お爺さんが、この家の事を写真を撮って伝えて欲しいと話していた。

人恋しいのか?中々話すのを辞めない。自分としては何とか目の黒いうちだけでも、この家をこの屋根を守りたいのだろう。来春には工事が始まり何の変哲も無い普通の家になってしまうのが、辛いのだろうか?人間、生きていて良いのか、死んだほうが良いのか、解らねぇ~なと寂しそうに話していた。

※ 11月22,23日と和歌山、奈良、三重、滋賀、静岡県を散策して、夕方5時過ぎ、静岡県御殿場インターの近くの、居酒屋で晩酌をして店のご主人に了解をとり、駐車場で仮眠をとり12時半に帰路に24日明け方五時前に自宅に着く。早朝ウォークをして自宅に戻ると、女房が袋田の滝の紅葉が見頃だとテレビで放送されていたよ。と話したので罪滅ぼしに、それじゃ~行きますか?と大子町に向かう。一番にS邸に向かう。午後1時半位だろうか、挨拶をしたらお爺さんが出て来た。改築は何月頃の工事ですか?

この長屋門と母屋を惜しみ、写真に残したいと倉敷から友人が来たいと話しているのですが、今日は、はっきりした工事の開始時期が解れば、友人に連絡してやりたいので、お邪魔した趣旨のお話をした所、息子さんは5月頃から工事をしたいとお爺さんに話したようだが、お爺さんは5月は百姓にとって一番忙しい時期だから2月頃から工事をして貰うように息子さんに話したと言う。

丁度、息子さんらしい方が長屋門の屋根を修理していたので、お爺さんにあの方は息子さんですか?と聞いた。ガタガタやっているから誰だ?と思ったんだが、息子だ。と聞いたので、話をさせて貰った。長屋門に応救的に麦わらを差していた。大変ですね。お爺さんから聞いたんですが、母屋を改築されるようですね?と聞いたらまさしくお爺さんと息子さんの温度差を感じた。

内容はここでは書けないが、来春には確実にこの風景は変わる事だけは強く感じた次第です。お爺さん又来ます。有難う御座いましたと挨拶をして袋田の滝に寄らずに自宅に戻る事に。この日もS邸の記録写真を100ショット位撮らせて貰った。お爺さん来春改築が始まるまで後何回かお邪魔します。お体に気をつけてくださいねと言い残し車に乗ると、女房がお爺さん、生きていて良いのか、死んだ方が良いのか、解らない。と話していたよ・・・・と。二人して涙を流し自宅に向かった。
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