日本脇道紀行8

志和へ行ったら若者が自転車を浮かせて曲芸のような事をやっていた。
写真を撮るので茅葺き民家の前のアスファルトの上でやってもらった。決定的な写真が撮れず三回目をお願いしたらバランスを崩してアスファルトにたたきつけられた。しかし、そこは身軽い怪我がなくてよかった。まあやらせ写真ですが見てください。やらせと言ってもそこへ行き、曲芸のような遊びがいたから撮れたようなもの、同じ場所へも何回も通い続ける事が肝心、日本にはいい格言がある「下手な鉄砲数打ちゃあたる」 若者にこんな遊びを何と言うのか聞いたBMXと言った。バイシクルモトクロスの略だそうです。 無職人になってから生活にメリハリを付けるため判らない言葉を書き入れる用語集をエクセルで作った。毎日一件が目標だったが3件以上書き込む事が多い。人の名前でも漢字でも略語でも判らないことは書き込む、漢字検定のためでもクイズ番組に出るわけでもないので興味のないものは書かない、妻夫木をどう読むかは書かない。女に凄くもてそうなやつは興味がない。独断偏見の用語集である。それでも無職人になって登録用語500項目になりました。

先日ある掲示板で会社に財布と携帯を忘れ駅まで来たが急いでいたのでPasmoがあったので自宅に帰ったと書いてあった。Pasmoって何に語源はなに田舎者は電車など乗ることがないじゃないですか、私も10年は電車に乗っていない。この言葉も当然調べて登録しました。この掲示板は読む人も意見が書けます。東京都に住んでいる40代の女性の投稿でした。私もコメントを書きました。「初めてPasmoこの言葉を知りました。私はMetaboカードは持っていますがこれで都心の電車は乗れますか」と書いたのです。 私は気の聞いたジョークを期待したのですが、こんなアホなコメントは冷たく無視されました。 夢想庵さんのお友達の宝塚の美女軍団ならは気の利いたジョークをもらえたかもしれませんね。 私ならばMetaboカードで都心の電車は乗れますかとボケをいれてきたら1.Metaboカードでは都心の電車は乗れません、Metaboカードで乗れるのは体重計だけです。2.Metaboカードをご利用のお客さんはメタボ専用の改札口を通過下さい。自動的に腹周りが測定します。85センチ以上の方は腹周りに応じて乗車料金が割り増しとなります。


リニューアルおめでとうございます。私のコーナーも格上げしていただいて申し訳ありません。
高速道路が1000円になり昨日は佐田岬までドライブにいきました。瀬戸大橋を渡った時の料金所の「料金は1000円です」にやっと実感が湧いてきました。1000円の期間に日本の岬を30巡っててみようと思っています(線で結べば日本地図ができる場所の岬)。関東に行った時に野島崎に行ったので今回はなかなかいけない愛媛県の佐田岬にいきました。半島の出ているところだけで40km、同じところを帰って来るので80km、灯台までは歩いて1.8km私にはどうしよぅもないところでした。日頃だと高速代1万4000円はかかるところ4000円で行けました。次は鹿児島まで1000円で行き佐多岬に寄りたいですね。第一日曜日は西日本の高速道路のサービスエリアの土産物、食堂も2割引でした。土産物は大売れでした。 岬を巡って何かあるのかと聞かれても「なにもありません」雨で写真を撮影していない時もあるし記録もしていません。夫婦の思い出に残ればいいのです。どうせ私はこんな体で長生きもできないので家内には私がいなくなっても一生思い出せる思い出を作ってあげようと思います。 そりゃあ桃太郎はん甘い、女は旦那が死んだらちゃんと男友達作りよって男との思い出つくりに励みますますがな。 は~あ、やっぱりそうか

写真は岬巡りと関係なし 美山町の写真です。


島根県の旧木次町、三刀屋の桜を見に行ったついでに茅葺き民家で桜の咲いている家がないか探しながらちょつと散策 今年のさくらは開花から満開になるのに時間がかかり満開になったら次の日にはもう散るありさま。 木次町の桜は桜百選になっている、三刀屋の桜は2kmの桜並木、双方車で5分の距離なので二度たのしめる。田舎なので場所取りの風習などなく昼飯の時間になるとごそごそやってくる感じです。

小学校の近くに茅葺き民家がある。ちょっと距離がある。茅葺き民家の前まで子供を連れて行きたかったが誘拐犯、変なオジサンと思われると思われると困るので校庭にいた子供に声を掛けて車のとこまで来てもらった。そのうちに変なおじさんで新聞にでるかもね。


養蚕は各地で行われていたが関東甲信越や東北が盛んであった。今も養蚕農家は茅葺き民家として残っている。養蚕については殆ど見た事もなくいささか無責任だがインターネットの資料を引用してまとめてみた。 養蚕や織物の技術は渡来人の秦氏によって朝鮮半島を経由して日本にもたらされた。繊維を作る技術や織物、陶器などの焼き物、青銅器、製鉄技術、土木技術は当時のハイテク技術で中国や朝鮮から多く学んだ。百済などの滅亡により多くの技術を持った人々が日本に移り住んだ。当時未開の地であった関東に人々は広がり住んだといわれている。 滋賀県の東岸の彦根から栗東にかけての県道を地元では「ちょんかい」と呼んでいる。 ちょんかいて何か聞いたら「朝鮮街道」の略だそうだ。古く百済が滅亡して人々は若狭から琵琶湖東岸を通り畿内に向かったと言われている。 秦氏は東漢氏とともに大和朝廷に重用されたという。

秦氏は京都市太秦に本拠地を置いたとされている。太秦(うずまさ、貴正とも書く)は東映の撮影所が有名で行かれた人も多いと思う。太秦の名の由来については諸説あるようでうず高く機織物を積まれたところからの説が一般的である。 秦の付いた地名は各地にあり滋賀県の泰荘町、神奈川県の秦野市は秦氏の子孫が移り住んだとも言われている。秦氏といえば伏見稲荷と松尾大社の奉鎮であろうか。伏見稲荷は全国4万社の総本宮である。稲荷神社が全国で一番多い神社とされている。稲荷神社は名前の通り五穀豊穣の神様で田を荒らす鼠を退治する狐が守り神となっている。 日本古来の信仰は山であったり川であったり岩や巨木なのに稲荷信仰は狐であるのに違和感を感じていた。渡来人のもたらした信仰ならば納得がいく、しかし、どんな信仰、宗教でも融合させるのが日本人の寛容さであろうか。


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