日本脇道紀行6

昨年入社したのがホンダの新車を買った。
私はホンダの車を持った事が分からないがやたらオプションが多いそうで他のメーカーでは付いているものも付いていないそうだ。私がハンドルは付いているのかとチャチをいれた。勿論ですよ彼は言った。
これは「夢想庵お笑い劇場」のネタになると思い漫才のネタを考えてみた。
セールスマンと客の対話、始まり始まり

中国がインドの向こうを張って28万円の車が新販売する事となった。
客「これが28万の車ですか、ハンドルが付いていないじゃないですか」
セ「オプションとなっています」
客「中国産だといくらするの、え~三千円、こんなの大丈夫? トラブルはなかったの」
セ「ハンドルが時々抜ける意外問題は発生していません」
客「ハンドルが抜けたのでしょう、中国のメーカーは何といっているの」
セ「ハンドルは回すもの日本人は引こうとするから抜けるのだ、中国製品にケチを付ける日本の謀略だと回答がきました」
客「ブレーキも付いていないの」
セ「ブレーキもオプションとなっています」
客「ブレーキはどんな種類があるの、え~下は三千円から上は百万まであるの、本体よりブレーキが高いの」
客「その三千円というのは大丈夫なの」
セ「これは中国国内仕様となっています。日本では三回に一回はブレーキが掛かりませんが、中国では黄砂のシーズンになりますとブレーキに上手く食い込んで大変よく効くのです」
客「車のブレーキに砂がいるのは初めて聞いた蒸気機関車じゃあるまいし」
客「ところでこのパンフレットのネエチャンはオプションにはならないの」
セ「中国には六億の女性がいます。これなんかどうでしょう。寝れば西施か虞美人か歩く姿は楊貴姫と言われる美女です」
客「なんでこんな美女がオプションにつくの」
セ「訳がありました日本で偽装結婚が八回男を手玉にとるのが悪いクセ」
客「ほかにましなのはおらんか」
セ「こんなのはどうでしょう。家庭的で料理が大好き女性、餃子を作らせたら中国一、隠し味にメタミドホスをつかうのだそうですが」
客「もう中国の物は何もいらん」



裏が付くと良いイメージの物はない。裏切り、裏ビデオ、唯一ましなのが裏ワザであろうか 茅葺き民家撮影の裏ワザは裏から撮影することではないだろうか、自分のKnowHowを教えるようで書きたくないが(え~そんなの誰でも分かっていることだよと言われそう)

私の裏好みは下記理由である。 1.正面からの撮影は21世紀が写り込む、車があったり現代の物が写り込む。
2.民家は正面には金を掛けて改造をしているが裏は手をいれてないので昔のままの残っている。
裏の方が時代がついて絵になる。
3.斜面に建てられた家が多く、下から見上げる撮り方は迫力がない。富士山を五合目から撮影した感じ、写真は自体は平面だがいかに立体的に撮影するかで良し悪しが決まる。
裏から撮影すると見下ろす形になるので遠近の立体感が生まれ集落の形成や地形の面白さも見る人に感じさせることができる。 裏から撮影する欠点は冬場は影になり撮影しにくい。 家の建て方にもよるが 茅葺き民家の屋根の角度は45度以上、太陽の角度は冬至で32度、夏至で78度(緯度,東京)


茅葺き模型展の準備で大変忙しくされているのではないでしょうか、大盛況になる事をお祈りします。 六月から三年目の再雇用に入ります。産業医の面談に行ったら週三日勤務のパート勤務になりました。 辞めるかフルタイムのどちらかにして欲しいと頼んだのですが週三日勤務になりました。賃金は産業医の給与で私が15人は雇えます。それでも仕事があるだけまし。
週に四日も休みがあって何をするか、これが困ったところです。元気な体ならば飛び跳ねる事も出来るでしょうが、毎日なにをするか思案のしどころです。
年寄りの「ボケ防止の3ベル」と言う言葉がありますがそれに二つ足して「五ツのベル」を実践したいと考えています。

五ツのベル
1.食べる・・・三大欲、これが無いと生きられない。
2.しゃべる・・・脳の活力には対話が一番
3.トラベル・・・旅は発見が一杯
4.調べる・・・探究心は脳の活性化
5.さしのべる・・・奉仕の精神


定年後、時間が出来れば写真のCDを持って小グループの講演会に行こうと考えていたが最近は考えが変ってきた。車イスに乗った者から講演を聴いても聞く人は惨めさ感じるばかりでないかと考えるようになった。 大体講演会好きな人は人から学ぶ事が目的で何かを自分からやろうとしないのである。 「ギブ アンド テイク」のテイク専門なのである。人から奪い取るだけなのである。 車イスの人間に教えてもらうのもシャクだと思うので人に奉仕など驕った気持ちは持たないでおこう。 人の世話になるべくならないように自分の好きな事をすることかな。


桜を撮りに何年か越に三重県まで足を延ばしました。日帰りでも十分行けたのですがついでに一泊してうろうろしてきました。 この家は桜が家の前に植えてあるのです。家内の祖母は曾孫に桜は家には植えるものでない言っていた。今になって息子がそんな話を言いだすのです。

「家に桜を植えると極道が生まれる」と言うのです。
質素な生活な庶民には桜にように華やかに浮かれる なと戒めであったと思われる。 うちの家は桜を植えたので極道が生まれたというのです。家内の父親は酒と付き合いが好きで神社の総代や防犯委員なと金にもならない(出費ばかりかさむ)、ことに建具屋の仕事をほったらかして出掛けるのです。 婆さんはこんなのを極道と呼ぶのです。 夢想庵さんも友達が一杯いて酒の付き合いが多いと思いますので家内の婆さんに掛かればきっと極道呼ばわりされたでしょう。


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