日本脇道紀行3

岡山県総社市
「池のある風景」

瀬戸内海沿岸は池が多い。 全国で一番多いのは兵庫県五万箇所、ついで広島県二万五千箇所、三位が岡山県の八千五百箇所と山陽の三県が上位をしめている。 一番少ないのが高知県の二百四十箇所 山陽方面に雨の少ないのは四国山地が壁になっている。雨雲の高度はせいぜい五百メートル。台風も四国山地を横断する事はまずない。抵抗のない海岸部を通過する。兵庫東部と広島は地形的に川に恵まれていない。兵庫県の東部は何百年に一回の地震で隆起を繰り返しているため川がない。農業は溜池に頼らざるを得ない。神戸の西部の稲美町は町の四分の一が池である。降った雨は側溝を通じてすべて池に流れ込むようになっている。兵庫県、広島県、岡山県は池の多いところに茅葺き民家も残っているので結構写真に残す事ができた。 神戸市、三田市、猪名川町では池の周りに茅葺き民家が残っている。池は3K(危険、汚い、臭い)と嫌われている。写真の池も農業用水としての役割もないので埋め立てて子供の運動場にしたいと言う話が上がっているが、茅葺き民家の奥さんが一人で反対している。ナマコ壁の蔵の横に用水があって夏には蛍が出るそうだ。こんな自然は何時までも残して置きたい、あんたも保護に協力してよと言われた。私はこの家を三十年以上撮影している。この家は週刊新潮やグラビアに掲載された事がある。
昔の週刊誌のグラビアはまじめな企画が多かった。今ならば手っ取り早くヌードであろう。 ここで小話一つ昔、「うちの娘は何処へだしても恥ずかしくない娘に育てました」 今、「うちの娘は何処をだしたも恥ずかしくない娘に育ちました」


篠山市
兵庫県、京都府にはこの角屋造りをいまでも見掛ける。
昔は格式の高い家しか認められなかったそうであるが、明治以降に改造をされた家もあると思われる。 懸魚や式台、千木は格式の象徴であったが、制約のなくなった明治以降にはかなりの家に取り入れられた地域がある。 角屋のある地域は特に格式への憧れの強い場所である。


大阪府能勢町
大きな家である。遠方に棚田が広がる。
正面は車だらけで撮影にならず、鶏を沢山飼っていてその横を通り裏へ回る。 今ならば鳥インフルエンザーにかかりそうで通りたくない。飼主も人からの病気をうつされる恐れがあり嫌うはずである。 ここのご主人が棚田の石垣が大阪府の文化財に指定されていると説明をしてくれた。城の石垣に使うような大きな石が使われていて農民が2~3人でコツコツ積み上げたものではなく。大規模な工事で石を運搬しているとの事であった。 私など言われるまで気づかなかった、言われて初めて運搬して積み上げたものであるのに気づいた。いい勉強になりました。ポケーと写真だけ撮っていてはいけないのだ。


稲作について
ジョニー.ハイマスの写真集に「たんぼ」がある。欧米の人は見られていない水田の風景に感動するそうである。日本人には田んぼは当たり前の風景のためその良さに気づかなかった。イギリスの写真家によってその良さを本にされたときにしまったと思った日本人が数多くいのではないかと思う。日本は工業国で工場やビルばかりと思われがちだが素晴らしい田園風景があると本に紹介されている。氏が特に愛した場所は新潟県の山間部で松之山町に数多く通っている。

稲や麦は共にイネ科で雑草を品種改良して常食の穀類に育て上げている。元はと言えば人が行き交う道のほとりに生えていた雑草だそうである。 「雑草の如く」と表現されるが逞しいが品がないとさげすまされたところがある。しかし、雑草は草のなかではエリート中のエリートである。雑草と言えるのは30品種くらいしかないそうである。雑草になれるのには1.いち早く芽をだし成長も早い。 2..種は土の中で何年も生きている。畑を耕し発芽条件ができれば古い種が芽をだし種の保存がなされる。(草花の種は一般的に二週間以内に芽を出さないと種は腐る。バイオの除草剤は二週間発芽抑制する物質を入れてある) 3.厳しい生育環境(アスファルトの割れ目)でも育つ、乾燥にも強い。 4.連作障害、厭地現象を起こさない。(ほとんどの野菜は長年同じ場所で作ると連作障害が起きるが連作障害のない米、麦を常食穀物にした先人は素晴らしい)

米は品種改良が一番進んだ植物と言われている。 1. 亜熱帯の植物を北海道や北朝鮮の亜寒帯で栽培できるようにした。 2. 実っても種が落ちない。 3. 2.5メートルもあった背丈を0.5メートルの背丈のイネに改良して倒れにくくした。米と麦は同じ頃に中国から伝わっているが美味しさで米が主力になっている。東北は麦食文化をもっと発達させれば冷害による飢饉を防げたと思う。

米をたらふく食べられるようになったのは昭和43年以降である。米作何千年の歴史の中。わずか40年である。農産物の自由化で日本の食事は豊かになった。車の本場アメリカに初めてトヨタが輸出した年である。自由化でバナナも安くなり穀物の輸入で畜産も盛んになり肉も食べられるようになった。私はバナナに対して未だにコンプレックスを持っていて安く沢山食べられる事に敬意を払っている。食品の豊かさ共に米の消費量は激減 昭和30年代に一人180kg食べていた米が現在は一人63kgである。


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