茅葺き屋根に住む人1

「黒牛を初めて眼にする初孫は、熊がいるよと影に隠れる」
島根県匹見町にて

私は茅葺き写真を26の視点(テーマ)で撮影している。そのうちの一つに「動物も同居人」というのがある。その一枚に牛は欠かせない。 中国地方では雄牛の事を「こっとい」という。字で書けば「特牛」である。「こっとい」と入力すれば特牛に変換できる。辞書を引いて初めて標準語であるのを知った。山陰線の西北のはずれに「特牛駅」がある。鉄道ファンならば難解珍名で「及位 のぞき:奥羽線」とともに常識の範疇である。
牛を役牛にするには人に従順になるよう訓練したそうである。それが30センチ四方の碁盤の上に四本足で乗せるものである。今も新見の農業高校で伝統として受け継がれている。

私は茅葺き民家探すため中国山地の峠を兵庫から山口県までひとつづつ越えた。匹見町から旧吉和村に抜ける国道488号線は酷い道であった。昔の林道を舗装しただけのため狭く険しい、紅葉の時期は対向車が多いが交わせないのである。


「十八の笑顔とともに消える村、出会えし夏の思い出残して」

鳥取市国府町にて
彼女の住む集落と五軒の茅葺き民家はダム建設で消える。 人家のない山道を歩いていた。乗っていくと聞いた。しばらく躊躇し車の中を見ていた。カメラを無造作においてあるのを見て恐る恐る乗り込んできた。いつでも脱出できるようにノブを掴んで それから1.5km登って集落についた。
学校の事、年齢、家族の事、恐怖を与えないように話続けた。降りたところに茅葺き民家があったので記念撮影をした。 オジサン何歳に見える?「う~ん」と返事に困った。「今日、二十五の誕生日」と言ったら腰から砕けるように笑った。



隻眼に人の人生垣間見る、戦争の傷、苦しみ超えて」

兵庫県神戸市にて
豆を干していたので写真撮影をお願いした。こちらを振り向いたら左眼が鮮やかに輝いていた。義眼であった。その瞬間「しまった」と思った。 「左眼写るとけったいやさかい、左眼入れんといてや」と言った。 申し訳ないと思いつつ何枚が撮影させてもらう。
片目はシナ事変の際、爆弾の破裂で破損物が目に当たって片目失明する。
戦後、就職や結婚のハンディもあったと思う。「それも人生、しゃあないな」とぽっりと言った。 オジサンの家、後ろの茅葺きの家と聞いたら隣の大きな家を指差した。敷地は一反はあろうか塀がめぐらされ大きな門の瓦葺民家であった。今の生活を見ても戦後ひたすらまじめに働いてきたと思う。南を見ると高層マンション群が近くまで迫っている。 この当たりも市街化地域になり税金が上がる話がある。農業はもう出来なくなった。 この人の人生を見ていると「人間万事塞翁が馬」だと思った。 片目を失明したばかりに後の徴兵を免れ、戦死する事もなく。都市化が進み土地の値段が上昇し大金が舞い込んできた。五体満足ならば女遊びに大金を使い、働きもせず競馬、競艇の賭博に明け暮れる生活で金を使い込んでしまったかもしれない。何が人間にとって幸せかわからない。大勢の7ファンに囲まれてちゃほやされた阪神とプレーオフの放送もしてくれないロッテでは反骨心がまるでで違う試合をする前に負けていた。


「婆さんを守るが如く老犬は成すことすべて一心同体」

兵庫県社町にて
茅葺き民家の縁側で一人住まいの婆さんが内職をやっていた。 「歳とっても手足つかわんとボケるよってに内職してます」と婆さんは言った。 私が訪れたら匂いを嗅ぎ何度か吠えた。婆さんの一喝でおとなしくなった。婆さんと話をし始めたら友達と判断したのか丸くなり寝始めた。 一人住まいで何かと物騒なのでこいつがいると安心できる。もちろん鎖にも繋がす放し飼いである。



inserted by FC2 system