散居村

農村集落の形態を分類するのに、集村と散村と言う分類が使われるが、実際、集落密集の程度やその配置形態は様々でどこで区別するか?分類するかが、難しい場合がある。

島根県、菱川平野や富山県砺波平野に見られる集落形態は、農家の屋敷が耕地全体の中に広く分布し、殆ど集落的かたまりが見られないので、散村「散居村集落」の典型としている。これと良く似た形態を長野県天竜川沿岸や岩手県北上川沿岸にも存在した。砺波平野の農家景観は、日本の伝統的な水田耕作農家の生活のあり方を典型的に残すものです。

良く手入れされた水田が屋敷すぐそばまで作られ、屋敷周囲には、冬期の季節風の防風のために樹木が植えられ、良く手入れされている。島根県出雲地方の築地松「ツイジマツ」静岡県浜松地方の細葉垣「ホソバガキ」東北では「イグネ」など地方により防風林の呼び名も様々です。防風林は、散居集落だけでなく、密集度の低い多くの農村集落でみられ、樹種はその地方によりしかも適した常緑樹が選ばれる。散居集落が発達した地域で、どのような要因がその発達を進行させたかは、これまでも研究されている。砺波平野の場合、どこでも地下水が涌き易い事。江戸時代に水田の割替え制度があった事。防火上の考慮があったこと等の要因等があげられる。散居村の形態では日本の江戸時代における水田耕作のあり方と深い関係があるようだ。散居集落では、各農家の周囲にある、水田に十分な用水を供給する用水路が発達している事が必要です。

これらの農家は屋敷のすぐそばに、水田をそれぞれの家族の労働力によって非常に丁寧に集約的に耕作していて各家の独立程度も高いとされる。砺波平野の散居村集落の景観が一番美しいのは、水田に水が入り5月の田植え時期の頃だろうか。刈り込まれ手入れのされた屋敷林もいっせいに新芽をだし、農村の景観としては、中部ヨーロッパの牧草地に囲まれた散居村も美しいが、日本の散居村のの景観もそれらに劣らずに美しいこの様な景観は農家の相互間の距離や、屋敷地の不揃いな所からわかる様に統一的な計画に基づいて作られた物ではではない。それは地形条件と農民の水田や屋敷に対する長い時間をかけての労働の双方から自然に生まれて来たものなのです。

この様な美も、民芸や民家の造形美同様に高く評価されるべきと「カラー日本の民家の大河先生は書いている。」 散居村の集落には「あづまだち」「あずまだて」と言われる切妻屋根の民家が良く似合う。私も高岡市中田に友人がいて、「彼の家は町屋」彼から知人の薬屋さんの「あづまだち」の民家内部を見せていただいた事がある。農家を取り巻く屋敷林はカイニョと呼ばれ、その起源については定かではありませんが、平野の開拓時にさかのぼり、原生林の一部を屋敷林として残したものと思われます。砺波平野は三方が山に囲まれた盆地状の平野で、冬は雪が降って寒く、夏は30度を超す日が続く暑さです。また、一年を通じて西風が吹きます。厳しい冬の風雪と夏の暑さを防ぐためにも屋敷林は欠くことのできないものでした。屋敷林を構成する樹種やその配置には、木と共に生活した先人の知恵とその心の豊かさを潜めた生活文化の一端が見られます。

砺波平野の屋敷林はスギが主体です。スギは防風効果もあり、落ち葉や小枝は燃料となり、また、その材は建築用材ともなります。また、分家の際には栗 ・柿・梅を植え、花を鑑賞し、実は食料とし、ときには金銭に代えたりしました。女の子が生まれると会津の山間部と同様に、桐の木を植え、嫁入りに備えたりもしました。「高(土地)を売ってもカイニョは売るな」ともいわれ、先祖代代大切に守り育てられました。 ☆砺波平野の農家は、大きな切妻を見せて屋敷林に囲まれて平野一面に散在す るのが特徴です。こういった大きな切妻屋根の家を地元ではアズマダチと呼びます。しかし、農家は本来すべて茅葺きであり、アズマダチが普及するのは明治以降の ことです。玄関から入った広い枠の内造りの広間と同じ広さの茶の間を斜め後ろに取り、座敷、仏間を前に向けるというのが典型的な砺波型の間取りです。私には、 生活水準の高さを感じるばかりだった。京都、石川県の文化を色濃く残した地域に感じる。和菓子にしてもお洒落で上品な茶菓子が多い。
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