囲炉裏

古い農家を尋ねると、招き入れられるのは多くの場合、大きな部屋です。
寒い季節なら「こたつ」が置いてありそこで話しをしたり、お茶を飲んだりする。周りを見渡すと、台所に近いほうに食器棚「水屋箪笥」や茶棚が並び、部屋の上手にはたいてい神棚や仏壇が祭られている。この様な居間には少し前まで大きな囲炉裏が切ってあった。

家人に以前の居間の状態を尋ねると、今、こたつが置いてある場所が以前の囲炉裏があった場所である事が多い。電気コタツの場合はコタツの下を板で塞いだり、堀コタツの場合は炭が入る様に改造したりしている。「こたつ」日本独特の暖房形式も、囲炉裏の残り火の上に木枠と布団を被せたのが起こりで、江戸時代後期以降に庶民階級に普及したと言われる。
囲炉裏のある部屋は、江戸時代には非常に温暖な少数地方を除いては、全国の農家や町家で作られていたが、その間取りや構造は地域によって異なっていた。東北・北陸地方では、囲炉裏と居間の大きさがともにかなり大きく、囲炉裏の上には自在鍵を吊り、その上に火棚と呼ばれる、穀物や衣服などを乾燥に使う火棚が吊ってあった。こんにゃく芋を生産していた地域ではこんにゃくの倉庫に入りきれなかった芋を火棚の上に置き凍ってしまう事を防いだ。

西日本の対馬や鹿児島地方などでも、大きな囲炉裏と居間が使われていたが、西日本では、自在鍵を使う事は少なく金輪〔五徳〕が普及し使われていた。囲炉裏の深さも色々で足を踏み入れる事も出来るものや、板の間と同じ高さの物まで様々です。自在鍵も地方色があり、木、竹で出来たもの北陸地方等で見られる空鉤と言われるもの、空鉤には釣針の形をした恵比寿、大黒さんの頭巾と顔をかたどった大黒がある。
岩手にはノコギリの様な形をした「ガンタカギ」や縁起物の鯛や鯉を堅木で彫った物、家紋を彫刻したもの、または扇子や寿などの縁起物、菊水模様やその種類は多種多様です。農鍛冶や鍛冶屋さんが作った手打ちの自在鉤もあります。時代が若くなると真鍮や砲金で作った豪華な物も有ります。機会があればHPで公開していきたいと思います。囲炉裏の戸口から急に風が吹き込んだりすると火災の危険があるので、板の屏風の様な物で囲ったり、大戸口を季節風の吹く方向に向けないなどの工夫をしている。 囲炉裏の持つ役目は言うまでもなく、炊事と暖房です。

江戸時代には、土間の備え付けの釜戸で炊事していたが、それ以外の大部分の地方では、囲炉裏で日常の炊事をしていたと考える。囲炉裏の内部に小型の釜戸を据え付けた地域〔長野県南部、滋賀県、対馬地方〕もある。囲炉裏はそこで炊事がおこなわれ、家族や親しい近所の人も絶えずその周りに集まって、話をしたり、暖をとったり、お茶を飲んだりするから、その近くには色々な物が置かれていた。囲炉裏の下手あるいは奥の壁に食器や膳を入れる戸棚をつくり、下手の土間との境に薪入れの木箱を置く形式や、さらに水瓶や台所設備を下手に置く地域もあった。「長野県、対馬地方など」囲炉裏のある部屋では、色々な手仕事もおこなわれ、長雨の続く時は、そこで穀物を乾燥させ脱穀の様な農作業まで行われた。従って、当時は居間の床には畳を敷かず、板の間のままで、より古い時代には床板の代わりに藁を敷いたままの粗末なものだった。私も10年近く前までは、工房に囲炉裏を切り、週末になると囲炉裏に火をいれ、友人達と語らい、酒を酌み交わした。

旧工房は解体され自宅と工房を新築したが、囲炉裏を作る事が出来なかったのを後悔している。難しい事では無かったが、新築と言う事で躊躇してしまったのです。薪の匂い、炎を見ていると落ち着くんですよ。薪は3本ないと燃えない事。青竹を切り、中に日本酒を入れて熱燗にして飲んだっけ!もし?模型の展示場を作れたら今度こそ囲炉裏を切るか、最悪でも薪ストーブで暖をとりたいものです!
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