骨董収集

骨董品の収集暦もかなりの年数になる。収集のきっかけになったのは、かやぶきの模型を作るようになってから、ストーブの上のヤカンを鉄瓶にしたいと、地元の骨董屋さんにでかけた。やなり25年も前の事だ。鉄瓶を買うと、自在鍵が欲しくなる。自在鍵が手に入ったら、今度はランプが欲しくなり、骨董品の収集にのめりこんでいったのです。

古美術愛好家は江戸時代から居たであろう?秀吉の朝鮮出兵の際に、朝鮮より連れ帰った陶工により有田周辺地域ではじめての、磁器が焼かれる。生掛けの未完成な釜で焼かれたその磁器を初期伊万里と呼び、その素朴さに今なお多くのファンが心惹かれる。北朝鮮が日本人を拉致したが、歴史的に見ても拉致は、日本の方が先にしたのではないか?しかし連れ帰った朝鮮人陶工達をそれは、それは大切に扱ったとされる。そこが、北朝鮮による拉致との違いの様に思うがどうだろうか?私も古伊万里関係の本はそれなりに読んだが、インターネット等に書いているような「渡来した朝鮮陶工」等と書かれた本は読んだことが無い。
勉強不足なのかもしれない?朝鮮陶工達が有田周辺で磁器を焼かなかったら、日本の磁器の創成期は、どの様に成っていただろうか?時代が少しさがると、古九谷、藍九谷、柿右衛門様式になり江戸中期の頃には、釜も技術の完成された盛期伊万里になる。私は、どちらかと言うと中期の花唐草の意匠が好きです。あの完成された、意匠が私は好きです。

それと同時に鬼集したのは、ランプです。置きランプ、吊りランプと合わせて100点位は有るだろうか?置きランプはこの所、地震が多いので片付けてしまった。伊万里の皿の大小50点位は有るだろうか?その他の古民具を合わせると相当な点数になる。 随分前からですが、初期伊万里から古伊万里まで人気の図柄の贋物が多い事です。私も古物商の免許を取り、プロ達が集まる交換会にも参加したが、400年近くも前の初期伊万里や藍九谷の図録物が毎回、盆中に乗るのを見て、収集を辞めた。昔の贋物は約束事が3つあれば一つ位はおかしな所があったが、昨今の贋物はすべての約束事を守り、時代までつけてくる!一握りの骨董屋が海外等で贋物を作らせて居るのだろうか?

現在もそうですが、お爺さんが生前大切にしていた、形見の壷、実は贋物だったのです。何て時代は将来確実に来る。掛け軸などは江戸後期から幕末、明治にかけての写しや贋物が多いが、陶磁器、江戸中期以前の古美術品をお持ちの方は鑑定をしてから、後世に残した方が良いですよ?勿論、鑑定にはお金が掛かりますが、鑑定者が保証するわけですから、取り合えず安心です。しかし、その鑑定者も名のある鑑定士でないと、箱書きに夢想庵鑑定なんて?書き込みがあれば、間違いなく怪しい?
職人達が先人の製作した作品を模写した写しと、贋物は別の物です。
古伊万里・古染写し
古伊万里・古染写し
古伊万里・古染写し
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