夢想庵、結婚式の来賓祝辞

仕事関係の付き合いが早いのか、意気投合してから仕事がついて来たのか?山形県新庄市に家族ぐるみでお付き合い頂いている、運送屋さん家族が居る。娘さんが会社の経理部門を手伝い、婿さんは米沢市出身で埼玉の会社に勤務しているとの事で、日頃より可愛がってもらっている私も披露宴に招待して頂く事となった。夢想庵さん遠くから悪いね~!と奥さん、北は弘前まで結婚式に行きましたから、山形県米沢市は遠い方ではありません。結婚式の披露宴は招待されなければ、どんなに行きたくても行けませんから、選ばれし者だけが出席出来るんですから、光栄ですと話した。

幸いにも結婚式は新庄市ではなく、米沢市。いわきから米沢市と新庄市では片道で往復の時間が掛かる。奥さんが遠くてスミマセンと何度も話してくれたが、新庄でなく米沢で助かりましたと話した〔笑〕

社長が、後で女房と娘が夢想庵さんにお願いが有るそうだから、宜しく頼むよ?と言ったので余興「祝い歌」位なら任せてください。ほかならぬK社長の娘さんですから!と言ったら笑っていた。

事務所で奥さんと娘さんがナナッ何と!夢想庵さん結婚式の来賓の挨拶をお願いしたいと言いだしたのです。ハぁ~?私はK社長の娘さんとまともにお話したのは1.2度しかない。しかし、弟の様に可愛がってもらっている大親友で大口のお客さんでもある会社の娘さんの結婚式だし、挨拶の依頼を断れる筈も無い。

困惑しながらも解りました、「出来るだけ頑張ります」がやっとの返事だった。それから結婚式当日までの45日間は、まさに地獄の様な日々だった。営業の仕事をしているのに、アンチョコを読んだのでは、ちっぽけなプライドが許さない。

パソコンで結婚式の祝辞と検索。何パターンかの挨拶をプリントし参考にして、車中運転しながらの夢想庵流の猛特訓が始まった。当たり前の挨拶では面白く見ないし、さりとて娘さんの事を深くも知らない。お父さんお母さんと私の付き合いがあり、新郎新婦さんに繋がるお話をする校正にした。

以下披露宴での夢想庵の祝辞を書いてみる。読んで頂いた方達には全く参考には成らない挨拶だが、以外や以外、本人やご両親様から感謝とねぎらいの言葉を頂戴した。

※只今、ご紹介頂きました、○○自動車の夢想庵です。僭越ですがご挨拶をさせて頂きます。○○君○○さん、そしてご両家のご親族の皆様、本日は真におめでという御座います、心よりお祝い申し上げます。

新婦○○さんの事をお話しする前に、お父さんお母さんそして、新婦の勤務先であります、〔株〕○○○○さんと私の出会いから話さなければ成りません。5年ほど前の夏の暑い日でした。自動車ディラーであります○平興業のマネージャーさんと初めて〔株〕○○○○さんを訪問しました。午前中の訪問だったのですが、ついつい話しに夢中になり、不覚にもお昼を過ぎてしまいました。 すると社長が、今日は暑いから「冷やし中華」を取るから、食べていくように言われご馳走になりました。その時、奥さんの○子さんが出してくれたのが、「ワラビの一本漬け」です。そのワラビの色、艶、太さ、そして味、どれを取っても超一級品でした。 社長~!このワラビ美味しいですね~!正直、「冷やし中華」はどこでも食べられますが、この「ワラビの一本漬け」は最上地方でないと食べられないんでしょうね?すると社長が夢想庵さん、山菜好きか?ハイ!大好きです。それじゃ~○子、お土産に持たせてやれ~と言って初対面にもかかわらず、ワラビの一本漬けを持たせてくれました。それからです、それじゃ私はいわきから魚を届けますから、私には山菜を下さい。と言い合えるくらいに仲良くお付き合いをさせて貰い、夢想庵さん、新庄に来た時は必ず事務所に顔を出してくれ!とやさしい言葉をかけて貰うように成りました。

3年ほど前に成りますか?何時もの様に、市内で社長と食事をしていると、今度、2番目の娘が帰ってきて、事務所を手伝ってくれる事になったんだ。と話してくれました。それは良かったですね~! 丁度、その時期、〔株〕○○○○さんは山形県や最上郡中心の営業エリアから全国へと事業拡大時期であり、車両の保有台数も増え、娘の○○さんが事務所の総務、経理部門を手伝い、この数年会社の躍進と共に、まさに大車輪の活躍をして来られました。やる気のある、良い社員達にも恵まれ、今では、〔株〕○○○○は建設機械を運ばせれば、保有台数、機動力を含め、最上郡で一番の会社に育ちました。

去年の春、〔株〕○○○○さんの事務所を定期訪問すると、社長も奥さんも居ません?すると○○さんがお茶を入れてくれて、少しお話しする機会がありました。○○君との長距離恋愛の事。事務所の仕事と家庭の仕事で精一杯の母親を気遣い、私がお嫁に行ったら、お母さん大丈夫かな~?何て母親を気遣う優しい話なども聞かせてくれました。

そこで、良く聞く話かも知れませんが?これから○○君との家庭生活や夫婦生活を旨くいくコツの様なお話をしてみたいと思います。

*20代は愛情で乗り切れると言います。*30代は努力してお互いの事を理解しなければ成りません。*40代は心身的にも折り返しに入ります。40代は色々な意味で我慢しなければ成りません。*50代、私も50代ですが50代は、もはや諦めの境地になると言います。しかし、ここからが大切です〔笑〕*60代になると相手「パートナー」のことが理解出きる様になり、*70代になると感謝の気持ちが沸いて来ると言います。*80代は、両家のお爺さんお婆さんに聞いてみれば言いと思いますが、多分、一日に数回しか言葉を交わさなくても生活できる、まさに、阿吽の呼吸に成れるのかも知れません?

先程から、夫婦生活や家庭生活は、努力、我慢の連続だ。と聞こえるかも知れませんが、人生は長い、焦ることなく自分達の家庭をゆっくり築いていきなさいと言う事だと思います。そして一番大切な事は、何時もパートナーに対する思いやりの気持ちを持ち続ける事だと思います。

先月、K社長のお兄さんが新庄市内で経営するママダイニング○○で、ご夫妻と○○さん、お爺さん「新婦の母親の父」と私と5人で食事する機会が有りました。そこで、お爺さん、手塩にかけて育ててきた大切な娘さんを本当はK社長に嫁がせたくなかったでしょう?と聞きました。 するとお爺さん、即答しました。

娘が惚れ込んだ男だものそんな事は思わなかったし、喜んで嫁がせたと言いました。

まさに、今日の両家のご両親様がその時のお爺さんと同じ気持ちなんだろうと思います。これからも、両家のご両親、お爺さんお婆さんを大切に、自分達のペースで笑いのある明るい家庭を築いて行って下さい。

本日は本当におめでとう御座いました。

*挨拶が終わると、新婦の同級生の娘さん達が私の席に来てくれて、一緒に記念撮影をして下さい。と言われ嬉しいアクシデントでした。同席の○野自動車の新庄営業所、所長や○平興業の新庄営業所の所長からも、これからの社員の結婚式の挨拶のときに真似させて貰うよ。と本当か嘘か?彼らも私の型破りなお祝いの言葉に何かを感じたようです。

その夜は、米沢に泊まり、翌日いわきに戻りました。女房が開口一番、挨拶は旨くいった?お陰様で猛特訓の成果か、何とか皆さんに喜んで貰えた挨拶が出来たよ。30代で仲人をして、何度か祝辞や友人代表の挨拶をしてきたが、今回ほど練習して緊張した祝辞は仲人の時の新郎新婦の紹介など比ではない。

しかし今回も良い経験が出来た。早く両親をお爺さんお婆さんにしてやって下さい。オメデトウ。

*下の写真は緊張して挨拶している夢想庵と同じテーブルの方達です。
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