古民家スタイル取材記

(株)ワールドフォトプレス 古民家スタイルの編集スタッフの松嶋さんと言う女性からから、茅葺の模型を雑誌に載せたいと突然に取材要請の電話を頂いたのは、2006年の早い時期だったと記憶している。取材を引き受けて暫くすると、松嶋さんから電話があり、アキレス腱を損傷したとかで、いわきまで取材に来れないので、代わりに国広さんと言う者が伺うので宜しくとの事だった。

カメラマンの方と国広さんが、緊張した様子で我が家に取材に来たのが、2006年の2月頃だったと記憶する。1年に一冊の発売で古民家再生や古材パーツ情報などの専門誌との話しだった。そんなこんなで、2006年4月古民家スタイル№6に「古民家を継承する模型の力」と題した模型の写真と解説文が掲載された。20007年2月発行の№7 売れ行き好調なのか?2008年からは春夏の年2回の発行となり、№9、10.年1回の取材で2棟の民家模型を撮影して行った。2009年1月に№11、そして今回2棟、№12,13、2010年1月分までのお陰様で丸5年の長期間、連続連載して頂く事が出来た。

私の出番は今回の取材までだが、正直、雑誌はテレビやラジオに比べ、リハーサルも無く本当に楽だ。新聞なら喋った事を記者が割愛して短くコメントに纏めるが、総指揮官の国広さんは、私の作品に対してのコメントを割愛したり訂正した事は、この5年間一度も無い。好きな様に書かせてくれて、そのまま掲載してくれる。ゆえに書き手の責任もあるが、「やらせ」は一切無い。何時ぞや?国広さんに話した事がある。自宅の屋根裏部屋に作品は沢山有るんだから、少し多めに撮影していけば?と彼に話したら、夢想庵さん1年の一度位はいわきに取材に来させて下さいよ~!と笑った。

今回と次回で私の作品は最終回。どの模型にしようか?夢想庵さんの好きな作品で良いですよ。と言うから、それじゃ~、最新作と47都道府県の47県目の最終作品高知県大川村の○中さんの家にしょう。

すると夢想庵ママがお父さん今回で一区切りなんだから、取材撮影の様子も逆に写真に撮っておけば?と言うから、撮影の様子を写真に撮った。

今回は、リーダーの国広さん、何時も一緒に来てくれたカメラマンの槇村さんは、家庭の事情で京都に居を移したとの事だったが、彼もいわきに来たかったのか?片道700キロを暴走し?遥々、いわきまで来てくれた。それと今回、初参加の編集・ライターの平岡さん、初めて屋根裏部屋に登ったら、その模型の多さに驚いていた。

女房が、ばらちらし寿司を作ってくれたので、お昼にそれを食べながら、全国の茅葺模型の写真集なんか面白いね?何て話しが盛り上がり、模型と実物の民家の写真を載せて、本物と模型を載せたら面白いが、私の写真じゃ~?どうにも成らないな?と笑った。するとカメラマンの槇村さんが撮るから、取材費を国広さんにお願いしていた〔笑〕

国広君そんなに社内で力が有るのかい?すると2人が彼が良いと言えば、ОKですよ!それじゃ、国広君!「夢想庵、茅葺民家放浪の旅」北海道再散策か九州の再散策に協力してくれよ。20万で良いよ?駄目なら10万5万でも本当に助かるよと笑った。

彼らとの出逢いから足掛け5年間。長かった様で短かった。国広君が夢想庵さん、連載は今回の取材の分で一区切りしますが、夢想庵さんとはこれで終わりとは考えていませんから、また宜しくお願いしますと話してくれた。

2009年8月に発売予定の№12は岩手県一関市の民家。自身の最終回は、2010年2月高知県大川村の民家出逢いまで土佐の山中をさまよった、忘れられない民家を紹介します。

古民家スタイル 発行人 今井様 編集人 品田様 国広さんやスタッフの皆さん、長い間我がままを聞いて下さり有難う御座いました。また、機会が有りましたら宜しくお付き合い下さい。

茅葺き模型工房 夢想庵
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