結いと限界集落

結いの知恵

島国根性、村落根性とか、村意識などは狭い了見による排他的意識の代名詞のように言われる事が多い。選挙などにみられる投票行動もそこから来てるという人もいる?しかし、昔からの村で生きる為の全ての行動様式を無くして、はたして日本の社会が成り建つであろうか?自分の住んでいる所から、物を考え行動をする事を基本にして、江戸時代以来、長い間、培ってきた集落、村落意識が存在して来たと言えよう。  いま全国各地で急速になくなっているのが「結い」という社会連帯の意識である。この「結い」は日本の稲作農業を営むうえで必要な村落の共同作業から出来たものであった。「結い」は伝統的な共同行為の一種であり、働いて貰った分だけ働いて返すしくみの共同で、金銭や物で返すのではない。結いは短期間のうちに労力が集中的に必要とするときに生まれた社会的な知恵である。それが稲作労働や冠婚葬祭、生活道路の管理等もっとも多いところから、生活に必要な社会的知恵として定着して来た。

世界遺産、白川郷の合掌造りに結いをみる???

江戸時代は農民に年貢米を納めさせるために、検地をして農民を土地に拘束し、名主、庄屋を中心に村落共同体を形成した。(飛騨の地は、その昔この「検地」をめぐり一揆が起こり悲惨な歴史を持つ土地柄である。)人々(百姓)はその中で年貢を納めるという責任を果たし、厳しい生活環境の中でもより良い生活を求めてた。村落や集落という限られた生活体の中で生きるためと、農作業や集団生活を効率よく、円滑に進める為の生活の知恵から「結い」が生まれて来たのでは、ないだろうか。白川郷の合掌造りは世界文化遺産に成っているが、昭和の中頃までは、あの大屋根を葺く作業はすべて集落の住む人達による「結い」で行われて来た。「文化遺産指定の条件」の中に、「結い」によって屋根を葺くことが含まれて居る。それらは、一例に過ぎないがかも知れないが、封建的といわれ排除されてきた江戸時代の「文化遺産」は、めまぐるしく変る社会的な変化の中で、その「維持管理保存」に頭を抱えて居るのも現実の様だ。指定民家や重要伝統建造物等もやはり同じだろう。

「結い」は集団や集落、村落を維持する為の、その地に住む人間同士の約束事である。悪く言えば、横並び意識もこの中に含まれるが、皆同じ状態にして均衡やバランスを保つという意識もこの中から出来上がった様に思うがどうだろうか?戦後、グローバル化が進み、競争原理を優先して勝者が生き残る経済社会では、私達の祖先達が作り守り続けてきた文化遺産も崩壊の危機となり、長い間、家族を見守ってきた「茅ぶきの民家」等は大切にされる事はあまり見られなくなった。  この所「はやりだしている」白川郷の茅葺きボランティアは本来の「結い」とは基本的に異なる。結いは「結いがえし」という働いて返すという義務を伴って居るのである。現代風な「興味があるから」とか、「格好が良い」「一度経験してみたい」という感覚的な雰囲気に流されやすいボランティアには安定した精神的支えがない。人手不足の白川郷での合掌造りの屋根葺き手伝い、毎回、全国から沢山のボランティアが集まる。言い過ぎかも知れないが、それはあくまでも一過性の一時しのぎに過ぎない。年間を通しての茅場の維持管理、ハリを縛るソネなどの固縛材の調達、茅葺き職人の確保、育成など、いずれも近い将来必ず問題になる事柄ばかりである。文化遺産を安心して後世に残し伝えていくためには、「結い」の復活、伝統文化の継承、職人の育成など課題は沢山ある。

私の住む福島県にも下郷町に大内宿と言う、重要伝統的建造物保存地区がある。文部科学省が保存整備した集落だが、その旧街道筋の民家は完全に観光化された、かやぶき屋根のお土産屋さんとお食事処や民宿だと、観光客から酷評される事も多いが、この土地に住む方達も、動物園と同じ様な気がする。見る側は、ありのままの集落を見たいし、見せる側は、少しでもお金を落として行って欲しいと思う。その間が非常に難しい。京都府美山町北集落の様に、集落の入り口にお土産屋さんがあるだけで、集落の中には、お土産屋さんは無く自然なかたちの営みがある。訪問して何とも心地よい集落だ。 鳥が先か、タマゴが先か、というのと同じ話であるが、「地域おこし」のためとか、「観光のために」という話ではなく、自分達の生活に誇りを持ち、この文化遺産を後世に伝え残して行こうと、ひた向きに、かたくなに頑張る地域や集落や村落がそこに有れば、そこに訪れる人の数も増えるのではないだろうか。

世界遺産とは、1972年のユネスコ総会で採択された「世界遺産条約」に基づいて、「世界遺産リスト」に記載(登録)された自然や文化のことです。

世界遺産リストの作成目的は、地球にある素晴らしい自然や文化を、国や民族の区別無く、全地球人のものとして守っていこうというところにあります。特に消滅や崩壊の危機に瀕する自然や文化財を守り、未来に受け継ぐというのが最大の目的と言えるでしょう。

しかし世界遺産は単に自然保護、文化財保護のためだけにあるのではありません。例えばそれは、国際理解が求められる場でも生きてきます。世界遺産に登録されたものを知れば、その国の文化・産業・技術・歴史、さらに自然景観やそこに暮らす生きものの姿までもが見えてきます。世界遺産は、互いの国を知り合う格好の手段にもなり得るのです。

また様々な世界遺産の保全・修復の有様を参考にして、身近な自然や文化財をどう守れば良いか、どう活かせば良いのか、などということを学ぶことも出来ます。世界遺産は、自然保護・文化財保護のお手本でもあるのです。

そして世界遺産の最大の特徴は、自然と文化を一つの条約下で一緒に守っていくというところにあります。これまで別々のものとして捉えられてきた自然と文化・・・でも実は、それらは密接に係わり合っているのだという新しい考えのもと、世界遺産は生まれたのです。

重要伝統的建造物群保存地区(じゅうようでんとうてきけんぞうぶつぐんほぞんちく)は、日本の文化財保護法第144条に基づき、市町村が条例等により決定した「伝統的建造物群保存地区」のうち、特に価値が高いものとして国(文部科学大臣)が選定したものを指す。略して「重伝建地区(じゅうでんけんちく)」、または「重伝建」、「伝建」と称することが多い。

かわずの落書きに限界集落を書いたが長野県下伊那地方事務所の所長さんが興味深い事を発表されていたので紹介する。

~限界集落と言うもの?~

長野県下伊那地方事務所長 田山 重晴氏

限界集落」、この頃よく耳にする言葉である。 信濃毎日新聞でも独自のデーターを示し、記事や社説において正面から言及していた。集落をどのように捉えるかによって限界集落の数字が変わってくるが、いずれにしても65才以上の人が過半を占める村落ということである。 「限界集落」・・・いかにもこの言葉を見ても聞いてもドキッとさせるいささか大仰な命名ではないか。 県内のさる大学の先生が名づけ親であるとか。 この名称をつけられることになった中山間地域の人々はさぞかし複雑な思いであろう。と、小生は考えていたが、つい先日、多分この限界集落と目される村を訪れ集会所で20人ほどの方々(ほとんどが65才以上という)と懇談していたとき、ある方・・・70才は超えて いるかと思われる方・・・が「ところで所長さんが云いなさる限界集落って何だい?うちの村ではみんな畑で働いておるで、寝たきりの老人なんてゼロだわいな・・・」と快活に笑いながらおっしゃった。 そこで小生は考えるのである。 人は自分が何者なのか、身の不運やハンディキャップをなげいても仕方がない、ともかく頑張っていくことだと考えて懸命に生きようとする者に対し「彼は『限界○○』だ・・・」と、全く自分に何かをしてくれるでもない赤の他人から突き放したかの如くそのように呼ばれたら本人はどう思うだろうか。 どうして65才という年令を境にしてものごとの明暗を分けてしまうのか。 先日、曽野綾子さんが産経新聞のコラム欄でこう書いておられた。 「元気な老人から元気を奪いたかったら、何もさせないことだ。人は他人のために役に立っていると思えれば、年令に関係なく終生現役でいられる。たとえいささかの病気を持っていても元気なのである。自分は不要と思うその日から人は落ち込む。」と。

長野県、とり分けここ南信州の「限界集落」には生涯現役の人が、都市部よりはるかに多く、元気に山や畑で仕事に精を出し、曽野さんが同じ文章の中で書いているような「ただ自分のささやかな楽しみのための費用くらい」の収入は自ら稼いでいるのである。

もちろん学問の分野ではある現象に注目したとき何らかの定義のもとで一定の名称を付さないと学説としての仮説とその実証・論理の展開ができないことは十分承知している。このまま、こうした山村を放置しておけば集落自体が消滅し伝統文化が失われ、農地や山林の荒廃化が進み、憂慮すべき事態が起こるという警鐘を発する意図も分かっている。しかしである。学術的用語とはいえ今現に懸命に生きている人々の集団に対し「限界」集落という命名をすることには、抵抗を覚えざるを得ない。  

こうした山間にある地域に足を運び、住民の方々とひざを交えて、地域の将来について話し合いを重ね、ハンディキャップを乗越えて、ともにその持続的な活性化を目指そうとしている者にとって、少なくともこだわりなく安易に使える言葉ではないのである。

~夢想庵~

つい最近も「後期高齢者」の保険料負担について、保険料云々より、その呼び方が?75歳以上の方達は人生の後期に区分けされてしまうのか?とか評論家の方達も、一斉に厚労省のやり方に噛み付いた。私は呼び方がどうこうより、厚生労働大臣さんのテレビのインタビューの発言を聞いて驚いた!私が母親を介護の時は、毎月40万の介護費用がかかったが、この制度のお陰で個人負担は10/1の4万円で済むと?この馬鹿タレが!馬鹿な事、言ってんじゃ無いよ!貴方には庶民感覚は無いのか?親の介護に月40万ものお金を出せる一般庶民は居ないよ!大方の庶民は、その半分以下の金額で生活しているんだよ!バカタレが! 貴方のような、国際政治学者には庶民の生活は解らないのかも知れないが、産まれてくる子供達には、手厚い保護を、戦後復興の為に身を粉にして働いて来た老人には、少ない年金から、また保険料をむしりとる。本当はこの国が限界国家なのではないだろうか?そんな議員を選んできた私も、一国民として選挙民のレベルの低さを痛感する。

三月末、山形県羽黒町で出逢った御婦人は、一人で雪囲いの片付けをしておられた。茅ぶきの家だったので、写真を撮らせて下さいとお願いした。ボロ家だけど、家の中も見ていきますか?願ったり叶ったりである。お願いしますと返事すると、自宅に招いてくれた。自分の曽祖父は北海道の農大を出て庄内に戻り、地域の人の為に一生懸命働いた。父は、羽黒町の教育長を務めた。この部落でも昔は「結い」があり、雪降ろしや雪囲いの片付けなど、皆が協力してやっていたと話す。 自分も隣町に嫁ぎ兄は、若くして亡くなった。良い人達は早く逝ってしまうのよね~。としみじみ話していた。しかし前向きな奥さんで、先祖が残してくれた、この家を何とか守りたい!側溝のゴミを拾い、周辺の環境に注意して、一人頑張って来たら、蛍が乱舞する様になったのよ!と笑った。 私は、この地域に「結い」を復活させたい!と熱く語ってくれた。お子さんを2人育て上げたと話してたが、さぞや立派な成人に成られた事を疑う余地も無い。 「結い」労働奉仕の貸し借り。お金で何でも解決しようとする世の中で相反する言葉だが、結いの復活が地域活性化の底辺にある一番大切な事かもしれない。
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