限界集落

限界集落とは、65歳以上の高齢者が、人口比率で住民の50%を超えた集落のことを指し、長野大学教授である大野晃氏が、高知大学教授時代の1991年に最初に提唱した概念と言われています。

中山間地や離島を中心に、過疎化・高齢化の進行で急速に増えてきており、このような状態となった集落では、生活道路の管理、冠婚葬祭など、共同体としての機能が急速に衰えてしまい、やがて消滅に向かうとされており、共同体として生きていくための「限界」として表現されています。

旧国土庁が1999年に行った調査においては、やがて消え去る集落の数は日本全体で約2000集落以上であるとしています。 また、限界集落以前の状態を「準限界集落」と表現し、55歳以上の人口比率が50%を超えている場合とされ、また、限界集落を超えた集落は「超限界集落」から「消滅集落」へと向かうというのです。

集落のみならず、近年では「限界自治体」という言葉も唱えられはじめているようです。

2008年3月の末日、山形県飯豊町のある集落を訪ねた。夢想庵も厳冬期はさすがに現地に向かう事を躊躇した程の豪雪地帯だ。以前より訪問したい集落だったが、中々訪問出来ないでいた集落だった。茅葺模型展の準備も終わったし、雪解けも進んできた事もあり、思い切って訪問する事にした。飯豊連邦の懐の集落。心躍らせての訪問だった。

道中、渓流釣りの解禁もあり、「かんじき」を持った釣り人達が道路を歩いていた。眼下の渓流までの道のりは、かんじき無しでは到底たどり着けない残雪の多さだった。

左右の雪の壁の細い道を走る事、数キロ、目的の茅葺の民家が見えてきた。お爺さんが一人、こんにちは。写真を撮らせてください。何処から来た?福島県いわき市から来ました。ほぉ~!少しお話を聞かせてください。今年は、去年に比べ雪が多かったから大変でしたね?去年は屋根の雪降ろしは1回だったが、今年は4回雪降ろしをしたよ。何時もの年は、6回位の雪降ろしをするから、今年の冬は、まだ何時もの年よりは楽だったよ。と話してくれた。

この集落にも、昔は40世帯以上の民家が有ったが、今では2軒2世帯4人を残すのみの集落になってしまったと、話してくれた。雪に埋もれている所は、田んぼですか?昔は田んぼだったが、今は牧草を植えている。米は買って食べている。婆さんと2人では、米を作る必要が無いと話していた。自宅の周りには雪が2m位積もっていた。冬期間の除雪はどうなっていますか?人が住んでいる内は、町がやってくれるよ。そうですか!買い物は?移動販売の車が月に一度来てくれるよし、山菜や保存食で冬は越せると話していた。強い精神力と言うか、生まれてこの方、この土地で暮らし、生活してきた方達には、山里の生活に何の苦労も不便も無いと話していた。

もう一軒の立派な中門造りの民家を訪ねた。お爺さんは、チェーンソーで木を割っていた。こんにちは。その薪どうするんですか?ボケ防止に、炭を焼いているんだ。木は何ですか?楢だ。白炭を作っているんだ。コタツに使うんですか? 農協が買いに来るんだ。小使い稼ぎだよと笑った。この集落も賑やかな時代があったが、今は自分達の代で終わりだ。と話したお爺さん。どちらの家にも似たような飼い犬が一匹づつ飼われていた。 確実に超限界集落から消滅集落へと近づいている。例外も有るが、茅葺の民家は多く残る集落は、限界集落か超限界集落が多い。若い人は故郷を捨て、残るのは年寄りばかり、散策していると、廃校も目立つ。しかし、自分の住む町内会を見ても、世帯主では、私が一番若い?後は子供達は家を出ている方達ばかりだ。息子の住む市営住宅も老人住宅だと話していた。 少子化に年金問題、自殺、殺人事件、本当はこの国が限界に来ているのかも知れない?

次回は明るく頑張っている、ひたむきに茅葺の民家を守る、山形県羽黒町で出会った、元気な叔母さんと鶴岡市で出会ったお爺さんについて書いてみる。
山形県・飯豊町
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